「列子(れっし)」と聞いて、すぐに具体的な人物像や思想を思い浮かべられる人は多くありません。
しかし、中国思想史において列子は、老子と荘子をつなぐ位置に置かれてきた重要人物であり、その名を冠した『列子』は、道家思想を理解するうえで欠かせない書物の一つです。
本記事では、列子という人物の実像、列子の思想の特徴、そして『列子』という書物がどのような過程を経て現在の形になったのかを、原文引用を交えながら、できるだけわかりやすく解説します。
列子の生涯
― 実在は確実だが、史料はきわめて少ない ―
列子(列禦寇・れつぎょこう)は、戦国時代前期から中期にかけての人物とされます。
ただし、孔子や孟子、荘子のように確かな伝記資料が残っているわけではありません。
列子について言及する代表的な史料は、以下の二つです。
まず『荘子』。
『荘子』の中には、列子が登場する逸話がいくつか見られます。
「列子御風而行,泠然善也,旬有五日而後反。」
(列子は風に乗って行き、軽やかであった。十五日ほどして帰ってきた。)
――『荘子』逍遙遊篇
この描写は、列子を超人的な能力をもつ道家的人物として描いています。ただし、荘子自身はこの能力さえも「なお依待(よりどころ)がある」として相対化しています。
次に『史記』。
実は司馬遷は『史記』において、列子の独立した列伝を立てていません。これは非常に重要な点です。
老子・荘子は列伝を持つのに対し、列子は持たない。これは、司馬遷の時代にはすでに列子の実像がはっきりしなかったことを示唆します。
一般には、列子は鄭国(現在の河南省一帯)に住み、道家思想を奉じて隠逸的な生活を送った人物と理解されていますが、詳細は不明です。

列子の思想
― 「自然に任せる」ことの徹底 ―
列子の思想は、老子や荘子と同じく、道(タオ)に従い、作為を捨てることを重視します。ただし、その語り口は荘子ほど奇矯ではなく、老子ほど抽象的でもありません。
『列子』に特徴的なのは、寓話・逸話・譬喩を通して思想を語る点です。
無為自然の徹底
『列子』に繰り返し現れるのが、「人為の知を疑う」態度です。
「天地無為而無不為。」
(天地は作為をなさず、しかもなさないことはない。)
――『列子』天瑞篇
この発想は老子の思想を強く継承しています。
自然そのものは何かを意図して動いているわけではない。しかし、その結果として万物は秩序を保つ。人間が余計な知恵や計算を差し挟むから、かえって世界は乱れるのだ、という考え方です。
人知の限界への洞察
列子は、人間の認識能力そのものに強い懐疑を向けます。
「人之知也,有所不知。」
(人の知には、必ず知らぬところがある。)
――『列子』仲尼篇
これは単なる謙虚さの強調ではありません。
人間は世界を完全には把握できない存在であるという前提に立つことで、価値判断や功利的思考そのものを疑う姿勢です。
生死を超えた視点
列子の思想の中でも、とくに印象的なのが生死観です。
「死生亦大矣,而不足以為累。」
(生と死はたしかに大事なことだが、心を縛るほどのものではない。)
――『列子』力命篇
生きることに執着し、死を恐れる態度そのものが、人間を不自由にする。
この点では、荘子の「死生一条」の思想と非常に近い立場にあります。
『列子』という書物の成立
― 戦国書ではあるが、現行本は後世の編集物 ―
ここが最も重要で、かつ誤解されやすい点です。
現行『列子』は「列子本人の著作」ではない
現在伝わる『列子』は全八篇から成ります。
天瑞篇・黄帝篇・周穆王篇・仲尼篇・湯問篇・力命篇・楊朱篇・説符篇。
しかし、この書物が戦国時代にそのまま成立したとは考えられていません。
最大の理由は、内容に時代差があることです。
思想的に見ると、老子・荘子と同時代と考えられる部分もあれば、明らかに後漢〜魏晋的な発想を含む章も存在します。
とくに有名なのが「楊朱篇」です。
「抜一毛而利天下,不為也。」
(一本の毛を抜いて天下が利するなら、抜いてもよい。しかし私はそれをしない。)
――『列子』楊朱篇
この極端な個人主義は、楊朱思想として知られ、孟子が激しく批判した対象でもあります。
この思想がそのまま列子本人のものとは考えにくく、後世に編入された可能性が高いとされています。
編者としての張湛
現行『列子』が確定したのは、東晋の張湛(ちょうたん)による注釈本です。
張湛は『列子注』を著し、その本文が後世に標準形として伝わりました。
つまり、私たちが読んでいる『列子』とは、
- 戦国期の道家思想
- 老荘的寓話
- 後漢〜魏晋期の思想要素
これらが層をなして編集された思想集成なのです。
列子の思想史的位置づけ
― 老子と荘子の「中間」にある存在 ―
列子は、思想史的にはしばしば次のように位置づけられます。
- 抽象的で形而上的な老子
- 徹底的に相対化する荘子
- その間で、比較的平易な語り口で道を語る列子
『列子』を読むことで、道家思想がどのように受容され、物語化され、後世へ伝えられたかがよく見えてきます。
『列子』出典の代表的な故事成語とその思想的背景
愚公移山(ぐこういざん)―― 不可能を可能にするのは「理屈」ではなく「姿勢」
これは『列子』湯問篇に収められた、最も有名な逸話です。
「太行・王屋二山,方七百里,高萬仞,愚公居其北。」
(太行山と王屋山という二つの山があり、広さは七百里、高さは万仞。愚公はその北に住んでいた。)
――『列子』湯問篇
愚公は家の前を塞ぐ巨大な山を、子や孫とともに少しずつ掘り崩そうとします。
当然、周囲の人々は嘲笑します。
「甚矣,汝之不惠!」
(なんと愚かなことか。)
――同上
しかし愚公はこう答えます。
「子子孫孫,無窮匱也。」
(子が生まれ、孫が生まれ、尽きることがない。)
――同上
最終的に、その誠意に心を動かされた天帝が、山を別の場所へ移してしまいます。
意味と解釈
現代日本では「愚直でも努力すれば道は開ける」という努力礼賛の格言として使われがちですが、原典の思想は少し違います。
ここで重要なのは、
- 計算
- 効率
- 成功確率
といった人間的合理性が完全に否定されている点です。
愚公は「成功するかどうか」を問題にしていません。ただ「そうあるべきだから、そうする」のです。
これは列子的には、
👉 人知を超えたところで道は自然に働く
という無為自然の思想を、物語化したものだと読めます。
杞憂(きゆう)―― 取り越し苦労の哲学的批判
これも『列子』天瑞篇の有名な逸話です。
「杞國有人憂天地崩墜,身亡所寄,廢寢食者。」
(杞の国の人に、天地が崩れ落ち、自分の身の置き場がなくなることを憂えて、寝食も忘れる者がいた。)
――『列子』天瑞篇
この人物は、「天が落ちてきたらどうしよう」「地が崩れたらどうしよう」と、現実にはどうしようもない不安に囚われます。
しかし別の人物が、天地の構造を説明し、その心配が無意味であることを説き、彼はようやく安心します。
意味と解釈
「杞憂」は現在、「無用な心配」「取り越し苦労」を意味します。
ただし、『列子』の文脈では単なる楽観主義ではありません。
列子が批判しているのは、
- 知り得ないことを知ろうとする態度
- 制御不能なものを制御しようとする精神
です。
つまりこれは、
👉 人間の認識能力の限界を超えた不安そのものが、苦しみを生む
という、きわめて道家的な洞察なのです。
朝三暮四(ちょうさんぼし)―― 数字に振り回される人間心理
この故事は『荘子』のものとして知られていますが、『列子』にもほぼ同型の話が伝わっています(黄帝篇)。
猿に餌を与える際、
- 朝に三つ、夕に四つ → 猿が怒る
- 朝に四つ、夕に三つ → 猿が喜ぶ
という有名な逸話です。
「名實未虧,而喜怒為用。」
(実質は変わらないのに、喜びや怒りが生じた。)
――『列子』黄帝篇
意味と解釈
ここで列子が示しているのは、
👉 人間(あるいは生き物)の価値判断が、いかに表層的か
という問題です。
総量は同じでも、提示の仕方一つで評価が真逆になる。
これは現代で言えば、フレーミング効果そのものです。
列子的には、これは単なる心理トリックではなく、
名(ことば・表示)に囚われ、実(あり方)を見失う人間の本質的欠陥を突いた話です。
心斎・坐忘に通じる逸話群(準故事)―― 成語化していないが重要な思想素材
『列子』には、四字熟語として定着していないものの、
後世の思想や禅語に大きな影響を与えた逸話が多くあります。
たとえば、
「至人之用心若鏡。」
(至人の心の働きは、鏡のようなものだ。)
――『列子』黄帝篇
これは後に、
- 荘子の「心斎」
- 禅宗の「明鏡止水」
へとつながっていく重要なイメージです。
まとめ
― 列子は「思想家」というより「思想の媒体」 ―
列子という人物は、史料的にはきわめて影が薄い存在です。
しかし、『列子』という書物は、老荘思想を後世に橋渡しする重要な役割を果たしました。
列子は、明確な教義を打ち立てた思想家というよりも、
「道家思想が語られ、再解釈されるための場」そのものだったのかもしれません。
老子で難しさを感じ、荘子で飛躍に戸惑う人にとって、
『列子』は、道家思想への非常に良い入口になります。
私自身が実際そうでした。
単純にお話としてもおもしろいからです。
ぜひ、肩の力を抜いてリラックスして『列子』を楽しんでほしいと思います。


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