世界が完全に疑わしくなったとき、人はどうやって正気に戻るのか――G.K.チェスタトン『木曜の男』を読む

書評

G.K.チェスタトンの『木曜の男(The Man Who Was Thursday)』は、しばしば奇妙な探偵小説、あるいは象徴に満ちた寓話として語られる。しかし、この作品を本当に貫いているのは、論理と理性が極限まで追い詰められたときに生じる「精神の悪夢」である。

この小説を読み進めるうち、読者は何度も足場を失う。
理解したと思った瞬間に、それは裏切られ、秩序が見えたと思った瞬間に崩れ落ちる。
その感覚は、単なるサスペンスの興奮ではなく、世界が信じられなくなっていく感覚そのものだ。

そして本書が特異なのは、その悪夢を描くだけで終わらず、
そこから目覚める過程までを描いている点にある。

秩序を守るために混沌へ潜る男

主人公ガブリエル・サイムは詩人であり、秘密警察の捜査官である。
彼は秩序と常識を愛する人間であり、世界はある程度「理解可能であるべきだ」と信じている。

その彼が任務として潜入するのが、無政府主義者の地下組織だ。
無政府主義とは、国家や秩序、道徳を幻想として否定する思想であり、
サイムにとってそれは、単なる政治的立場ではなく、世界観そのものへの脅威だった。

やがて彼は、無政府主義者たちの最高評議会に到達する。
評議会のメンバーは曜日の名で呼ばれ、「木曜」という席を巡る選挙の結果、
サイム自身がその席を得ることになる。

だが、ここから物語は急激に悪夢化する。
評議会のメンバーたちは互いに信用せず、誰もが誰かを追い、誰かから追われている。
敵だと思っていた人物が突然味方のような顔を見せ、
味方だと思っていた存在が、底知れぬ不気味さを帯びてくる。

追跡はロンドンからヨーロッパ各地へと広がり、
物語はもはや「犯人を捕まえる話」ではなく、
世界そのものが正気を失っていく過程を描くものとなる。

理性が暴走するとき、狂気が始まる

『木曜の男』が描く狂気は、感情の暴発ではない。
むしろそれは、理性が純粋になりすぎた結果としての狂気である。

サイムは常に考え、推測し、分析する。
彼は偶然を許さず、裏に意味があるはずだと信じる。
だが、その姿勢こそが、彼を追い詰めていく。

チェスタトンはここで、非常に逆説的なことを示している。
狂人とは、理性を失った人間ではない。
狂人とは、理性以外のすべてを失った人間なのだ。

すべてを説明しなければ気が済まない。
説明できないものは陰謀に変わる。
陰謀はさらなる恐怖を生み、世界は敵で満ちていく。

この悪循環は、現代人にも痛いほど身に覚えがある。
情報が多すぎる世界では、「知らない」という状態に耐えることが難しい。
結果として、世界は不自然なほど「意味だらけ」になり、
それは安心ではなく、恐怖をもたらす。

無政府主義者たちが象徴するもの

作中に登場する無政府主義者たちは、現実の政治運動をそのまま描いた存在ではない。
彼らはむしろ、「世界には秩序がない」「善悪は幻想だ」という思想を極端化した象徴である。

もし世界に本当に意味がないのなら、
正義も悪も、努力も希望も、すべては同じ重さになる。
それは自由であると同時に、耐えがたい空虚でもある。

サイムが感じる恐怖は、暴力そのものではなく、
世界が無意味であるかもしれないという可能性から来ている。

これは思想的な恐怖であり、存在論的な不安だ。
チェスタトンは、この不安を追跡劇という形に変換し、
読者自身にも同じ迷路を歩かせる。

「日曜」という存在――説明不能な中心

物語の終盤、「日曜」と呼ばれる評議会の指導者が前面に現れる。
彼は圧倒的で、威厳があり、どこか喜劇的でもあり、
善とも悪とも断定できない存在として描かれる。

日曜は敵なのか、守護者なのか、神なのか、暴君なのか。
その問いは最後まで明確に答えられない。

だが、ここで重要なのは、
答えが与えられないこと自体が、作品の核心であるという点だ。

世界には、説明できない中心がある。
すべてを理解したつもりになった瞬間、人は狂気へ近づく。
理解できないものが残っていることこそが、世界を世界たらしめるのである。

狂気からの回復とは「信じ直す」こと

『木曜の男』が最終的に示す回復は、
謎が解けることでも、敵が倒されることでもない。

それは、世界を完全には理解できなくても、それでも肯定する態度である。

サイムは、世界が危険で、不合理で、不可解であることを知ったまま、
それでもなお世界を敵として見るのをやめる。

狂気とは、世界を「完全に説明できなければならないもの」と誤解することだ。
回復とは、説明できない部分を残したまま生きる勇気を取り戻すことだ。

チェスタトンが描く信仰とは、
超自然的な教義以前に、
「朝が再び来ると信じる感覚」に近い。

なぜ今、この本が必要なのか

陰謀論、分断、不信、終わりの見えない不安。
現代社会は、『木曜の男』が描いた悪夢に驚くほど似ている。

すべてが怪しく見えたとき、
「疑い続けること」は知的に見える。
しかし、疑い続けるだけでは、人は回復できない。

この小説は、
疑い尽くした先にあるのが虚無ではなく、
静かな肯定である可能性を示している。

『木曜の男』は、
世界が狂って見えた経験を持つすべての人に向けられた、
不思議で、難解で、しかし深く慰めに満ちた
「正気へ戻るための物語」なのである。

木曜の男 (創元推理文庫 101-6)
無政府主義者の秘密結社を支配している、委員長〈日曜日〉の峻烈きわまりない意志。次々と暴露される〈月曜〉、〈火曜〉……の各委員の正体。前半の奇怪しごくな神秘的雰囲気と、後半の異様なスピードが巧みにマッチして、謎をいっそう奥深い謎へとみちびく、...

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