社会主義とは何か? エンゲルスの「空想より科学へ」を読む

哲学

エンゲルスの「空想より科学へ」はもっとも読まれた社会主義関係の本といっていいでしょう。短いですが簡潔な名著です。

社会主義についてまとまった知識を得るには本書を読むのが近道です。社会主義とは何か、史的唯物論とは何か、弁証法的唯物論とは何か、この小さな本がやさしく答えてくれます。

さっそくエンゲルスの説明を聞いてみましょう。まずは私たちの社会の前提である資本主義についてです。

資本主義の発展

私たちは資本主義社会で生きています。資本主義は歴史的な現象です。中世では資本主義なるものは存在していませんでした。近代になってから資本主義は登場したのです。

では、資本主義の特徴とは何でしょうか?

資本主義と非資本主義の社会とは何が決定的に違うのでしょうか。

エンゲルスは生産方法の違いに注目します。商品の生産手段も次のような発展の歴史を持っています。

(1)手工業
(2)工場制手工業(マニファクチャー)
(3)近代工業

(1)は職人の世界といえます。親方のもとで各職人は商品を完成させます。

DIYを趣味とする人なら想像しやすいでしょう。各人が本棚やテーブル、椅子などを完成させ、その商品を市場で売るイメージです。

商品を作れば作るほど職人はその技能に習熟していき、商品の品質も高まっていきます。

しかし、この生産方法では大量生産は無理です。そこで次の段階に移っていきます。それは「分業」を基礎とした生産方式です。


(2)の工場制手工業とは、多数の職人が一ヵ所に集められ、「分業」をとおして商品を完成させるスタイルです。まさに工場です。

各人は商品の部分を生産するだけで、さほどの熟練技術を必要としなくなります。職人から労働者への転換といっていいでしょう。

この方式により商品をより多く生産することが可能になりました。


(3)の近代工業は生産手段の完成形です。機械による自動運転システムによってさらなる大量生産が可能になりました。労働者ができることは機械の管理、メンテナンスです。


以上の生産手段の発展は、労働者の価値を減じる過程でもあります。

各労働者はもはや歯車のひとつにすぎません。壊れれば代替がきく部品にすぎないのです。

具体的な生産手段である機械や工場、そしてそれらを運営するための資本、これらを独占する「資本家」という新たな階級が現れました。

中世における「封建領主」や「宗教」勢力にかわって社会の支配階級として資本家が台頭してきたというのが資本主義の発展の歴史です。

しかし、この資本主義社会は根本的な矛盾を抱えている、というのがエンゲルスの理解です。その矛盾とは何でしょう。

資本主義社会の矛盾

職人の世界から大工場での大量生産へ、生産手段は劇的な変換を遂げてきました。

職人の世界では商品を生産したのは職人です。「これはおれが作った」と主張できる世界です。所有権についてもブレがありません。自分が作ったものですから自分がどうしようと勝手、というわけです。

大工場での生産は違います。労働者は分業によって生産の一部に携わるだけで、商品の完成とは無縁の存在と化しました。

では、生産された商品は誰の所有となるのでしょうか?

生産手段の所有者である資本家です。

生産に携わることのない資本家が他人の労働の果実を独占することになったのです。

生産手段は分業によって社会化しました。これは革命的な変化です。

しかし、商品の取得については革命的な変革はおこっておらず、以前のままです。

かつての職人の時代は、商品は生産したものが所有しました。

近代においては、生産に携わらないが生産手段の所有者である資本家の所有に帰するのです。

この矛盾が資本主義社会の矛盾であるとエンゲルスはいいます。

エンゲルスによれば、「社会的生産と資本主義的取得の不調和」がプロレタリアート(労働者階級)とブルジョア(資本家階級)との対立として表面化してきたといいます。

この矛盾を解決する方法が社会主義の採用です。では社会主義とはどのような思想なのかを見ていきましょう。

社会主義とは

エンゲルスによれば、資本主義の矛盾を解決するには「一切の生産手段を社会が没収する」必要があるといいます。

すべての生産手段の国有化です。

エンゲルスのいう社会主義とは、国家が生産の管理を一元的に掌握すること、このことに他なりません。エンゲルスは書いています。

近代的生産の社会的性質を実際に承認すること、いいかえれば、生産方法、取得方法、および交換方法を生産手段の社会的性格に調和させること。

大内兵衛 訳  「空想より科学へ」 岩波文庫 p83

つまり、プロレタリアートとブルジョワの分裂としてあらわれた社会化された生産手段の所有権を社会そのものに帰属させるのです。

そのことで一切の階級的対立が消滅し、国家は徐々に死滅するとエンゲルスはいいます。

しかし、ソ連崩壊を知っている私たちはエンゲルスの楽観的な社会主義観に全面的に首肯することはできません。それは夢物語にすぎないように感じられます。

エンゲルスのいう生産の国家の管理とは、計画経済のことでしょう。計画経済がいかに非効率的であるかは中国の大躍進政策を見ても容易に理解しうるところです。

エンゲルスの思想を実際に適用しようとするのはナンセンスですが、弁証法については簡単に説明しておきたいと思います。弁証法は実生活においても有益な思想だからです。

弁証法について

弁証法を理解するには、対立概念である形而上学的思惟方法について知るのが近道です。エンゲルスは書いています。

形而上学者にとっては、事物は、そしてその思想的模写である概念は、個々ばらばらに、一つずつ、他と関係なしに、観察すべき、固定した、動かない、永久不変の研究対象である。(中略)彼にとっては、事物は、存在するか、存在しないかである、一物は一物で、同時に他物であることはできない。肯定と否定とは相対的に相排斥する。原因と結果ともまたたがいに動きのとれぬ対立である。

同上 p54

ものごとを固定して考えるのは生活上、必要なことでもあります。それは常識の見方でもあります。

地球は丸いとはいえ、私たちが目にする海や湖は平面ですし、大地もおおむね平面とみなして差支えありません。

しかし、それは視野を拡大すれば覆される見方でもあります。地球が球体であることは誰もが知る事実ですが、生活の実感としては球体ではありません。

生活の実感だけに固執して地球を平面であると判断するなら、それは形而上学的見方といえます。

弁証法はそうではありません。「事物とその概念たる模写を、もっぱら、関連、連鎖、運動、発生及び消滅においてとらえる」のが弁証法です。

ものごとを連関のなかでとらえること、固定した見方を排すること、こういった弁証法の特質は日常生活においても仕事においても有用であるはずです。

エンゲルスの思想は、今日でも継承すべき部分と廃棄すべき部分と両方あると思います。マルクスにおいても事情は同じです。捨ててしまうには惜しい部分が多々あるのです。

ぜひエンゲルスをはじめ、マルクスの著作にも一度目をとおしてほしいと思います。

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