MMTという言葉をご存じでしょうか。聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
経済に関する用語であるのは確かだが、その内容はよく知らない。
こういう方がほとんどではないでしょうか。
MMTを理解するのに最適なのは、森永康平「MMTが日本を救う」です。
MMTが注目されるようになった背景から説き起こし、MMTの理論についても非常にわかりやすく説明している名著です。
今回は、この作品を通してMMTについて理解を深めていきたいと思います。
MMTとは何か?
MMTとは何か?それは貨幣に関する理論です。
ただし、新しく拵えた理論ではありません。ケインズ理論の正統後継者、それを自認するのがMMTです。具体的に見ていきましょう。
MMTは貨幣に関する理論である
MMTは、Modern Monetary Theory(現代貨幣理論)の略称です。貨幣に関する理論です。
現在、私たちが抱いている貨幣に関するイメージ、それは間違いではないものの、貨幣に関する一面の理解にすぎないことを明らかにするのがMMTです。
貨幣観の更新により、現在行われている経済政策の変更を視野に含めるため、政策的にも注目されています。
では、MMTにとって貨幣とは何か、一般的な貨幣のイメージと比較して考えていきましょう。
一般的な貨幣のイメージは、「商品貨幣論」として説明することができます。
物々交換によって生活必需品をまかなう経済環境をイメージしてください。漁師は魚、農民は米、靴職人は靴をそれぞれ生産します。
しかし、物々交換の世界では、これら魚、米、靴をどのぐらいの量で交換するか、はっきりとした基準がないため非効率的です。
そこで、交換のための基準として物質の「金」を採用します。
「金」の量が商品の価値を表します。そうすれば、魚、米、靴の交換が容易になるだけでなく、「金」を貯蔵することで財産の蓄積もできます。
これが貨幣の起源である、とみなす考えが「商品貨幣論」です。
「商品貨幣論」が説得力に富んでいるのは確かです。アダム・スミス以来、この「商品貨幣論」が貨幣に関する一般的な理解といっていいでしょう。
MMTとて、「商品貨幣論」を完全に否定するわけではありません。
しかし、MMTは「商品貨幣論」では貨幣の本質を十全に説明できない、と考えます。
ではMMTの貨幣観とは何か。それは「信用貨幣論」です。
「商品貨幣論」ではなく、「信用貨幣論」
「信用貨幣論」とは何でしょう。
それは、「貨幣」を「借用書(負債)」とみなす、という考え方です。もう少し詳しく見ていきましょう。
「商品貨幣論」では、交換の媒介として「金」やそれに準ずる貴金属を想定しました。
実際に、貨幣として機能したのは「金」や「銀」、「銅」などが主流でした。
しかし、「金」は使用回数が多くなるにつれ、摩耗が避けられず、交換媒体として優れていたとは必ずしもいえません。
そのため、交換の際にはその重さを量るなどの秤量の手間が避けられないのです。
効率化のための貨幣なのに、その貨幣の価値を見極めるための非効率が存在するのです。
貨幣の本質は商品(金、貴金属)にあるのではありません。
「貨幣」を「貨幣」として受け取る人々がいるからこそ、「貨幣」は「貨幣」たりえるのです。
極論からいえば、誰でも「貨幣」を発行することが可能です。
問題は、それを受け取る人がいないということです。
地方の商店街で使用できるクーポン券をイメージしてください。
ある決められた範囲(某商店街)ではそのクーポン券と引き換えに商品を購入できますが、隣町にいけばそのクーポン券は使えません。
誰も受け取らないからです。
「貨幣」としての「信用」がないからです。
つまり、MMTにおいては、貨幣の裏付けとしての商品(金や貴金属)の価値が貨幣を貨幣として流通させるという「商品貨幣論」ではなく、全ての人々が信用する負債が貨幣として流通するという「信用貨幣論」を適用しているのだ。
森永康平「MMTが日本を救う」 p143~144
「負債が貨幣として流通する」という部分に注目してください。
この部分をもう少し掘り下げてみましょう。ここに貨幣の本質が潜んでいます。
貨幣を担保するのは租税である
このことを理解するには、投資家ジョン・モズラーの「モズラーの名刺」というエピソードが有効です。少し長いですが、引用します。
モズラーが自分の子どもたちが家の手伝いをしないため、ある日「手伝いをしたらお父さんの名刺をあげるよ」と子どもたちに言った。そうすると、子どもたちは「そんなものはいらない」と答えて手伝いをしなかった。
そこでモズラーは、今度は子どもたちに、「月末までに30枚の名刺を持ってこなければ家から追い出す」と伝えたところ、家から追い出されたくない子どもたちは必死に手伝いをして名刺を集め始めた、という話だ。
同上 p144~145
名刺というのは紙幣(不換紙幣)、子どもたちは国民、モズラーは政府です。
まず私たちは日常で日本円という紙幣を使用しています。
この紙幣は価値に何の裏付けもない不換紙幣です。ただの紙くずだ。
「北斗の拳」ではありませんが、「ケツを拭く紙にもなりはしない」のです。
金本位制のもとでは、紙幣を銀行に持っていけば、その額に相当する「金」と交換することができました。
物質の「金」が紙幣の価値の裏付けだったのです。
しかし、現在は金本位制ではなく、管理通貨制度です。
紙幣を銀行にもっていったところで「金」と交換してくれるわけでもない。
では、なぜ紙幣は貨幣として流通するのでしょうか?紙幣を受け取る人が大多数だからですが、なぜそういうことが起こりうるのか。
答えは「モズラーの名刺」にあります。
名刺に価値はありません。
しかし、30枚集めて父親に渡せば、家から追い出されなくてすむのです。
名刺自体に価値はないが、父親が受け取るから名刺30枚には価値があります。
つまり、こういうことだ。
これは、言い換えると、貨幣(不換紙幣)には裏付けとなる価値はないが、国が納税する際の支払い手段として受け取る。だから国民は裏付けとなる価値のない貨幣を集めようとする。
同上 p146
国が税金として貨幣を受け取るからこそ、貨幣に価値が生まれるのです。
これは考えてみれば当たり前かもしれませんが、まさにコロンブスの卵です。
そして、「モズラーの名刺」にはもう一つ重要なポイントがあります。それは、
国民が国に税金を納めるにしても、納める貨幣がなければ納税はできない。つまり、まず国が支出をして貨幣を供給しなければ、その後に税金として回収する貨幣を国民は持たないのである。
同上 p149
この貨幣観は、政策上のホットな論点にも関連してきます。すなわち、国債の発行という点です。
国債と国の借金
日本の借金は1000兆円を超える規模に拡大しています。
厳密にいえば「国及び地方の長期債務残高」ですが、国民一人当たりいくら、という意味の分からない説明のされ方がされるのは今でも変わりません。
債務の内訳のほとんどは国債が占めています。
そこで問題になるのが、国債で歳出を賄うことの可否です。
反対派の意見としては、いずれ国債の価格が暴落し、金利は急騰し、ハイパーインフレを引き起こすおそれがあるため、国債に頼る国家予算の運営はできないといいます。
ではどうすればよいかといえば、国債の市場における信任を毀損しないためにも、消費税をはじめとする増税によって歳入歳出を均衡させるまで改善することが不可欠である、とします。
これもメディアでよく目にする議論です。
日本国民の多くはこの考え方に賛同しているのではないでしょうか。日本の「常識」と化している感があります。
しかし、「常識」がつねに正しいとは限りません。
先の大戦前に常識だったことが戦後ひっくり返った前例を知っている私たちとしては、「常識」こそ疑ってみる余裕が必要です。
MMTの観点からは、財政赤字はそれほど心配する必要のないものです。
国債の発行もそれほど神経質になることはありません。
しかも日本は「円」という自国通貨を持っています。
自国通貨を発行する国が財政破綻するというのが原理的にありえません。そのことは財務省も認めています。
その理由について詳細に説明することはしません。
ぜひ森永氏の「MMTが日本を救う」に目を通して確認してください。
まさに目からうろこ、財政観のコペルニクス的転換です。
いままでの日本の言論空間が異常なものに思えてきます。
こういった新しい観点を得るだけでも本書を読む価値は十分にあるのです。
まとめ 財政規律とMMT
1年間の歳出は歳入と均衡しなければならない、というのが現在日本での「常識」でしょう。
歳出を拡大するためには歳入を増加させなければならず、そのためには租税収入を増やすしかない、そのためには消費税が確実な財源だ。
こういった文脈で消費税が語られることがほとんどです。
実際は、長年にわたって法人税と所得税を減税してきたため、その穴埋めとして消費税がクローズアップされてきたという経緯があります。
儲かっている企業や富裕層に課税するのはやめて、国民全員から搾り取ったほうがいい、と考えたのでしょう。
しかし、富裕層にとっては数パーセントの消費税など痛くもかゆくもないでしょうが、収入が少ない低所得の家計にとっては話は別です。
高所得者に比べて、低所得者の税負担率が高くなることを「逆進性」と呼びます。
低所得者の生活は苦しくなるばかりです。
しかし、財務省はもちろん、国民の代表である政治家ですら消費税の増税が財政規律のために必要不可欠だと信じて疑わないのが現状でしょう。
いわば「財政規律イデオロギー」に染まってしまっているのです。
国の借金が膨れ上がってもう借金できなくなる、財政が破綻してハイパーインフレになる、こういった言説は随分まえから聞こえてきました。
テレビで新聞で週刊誌で現在もなお、盛んに論じられているホットなトピックです。
なかには、あえて国民にとって耳の痛い事実を突きつけるというスタイルで、結局は消費税を増税しろという結論の著作も少なくありません。財務省が喜びそうな著作です。
もう結構といいたくなります。
今の日本に必要なのは増税ではありません。増税を唱えるだけならバカでもできます。
歳出と歳入を合わせるだけなら簡単な算数だ。大福帳を合わせる感覚で国の財政をやられてはたまったものではありません。
いまこそ国民に必要なのは、MMTのようなマインドチェンジです。
財政規律イデオロギーと闘うための理論武装です。
それがイデオロギーなら、虚偽を暴くことで無効化できるはずです。
いまこそ夢から覚めるときなのです。
森永康平氏の「MMTが日本を救う」はそのための第一歩です。
多くの方が本書を読むことで日本のほんとうの危機に気づいてほしいと思います。
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