プラトンの対話篇『ゴルギアス』は、古代ギリシアの哲学書でありながら、
読んでみると驚くほど現代社会の空気に似ている。
本作で描かれるのは、
「正しさより成果」「倫理より成功」「節度よりパワー」
といった価値観が前面に出た社会で、人はどう生きるべきか、という問題だ。
ビジネスの世界、政治の世界を思い浮かべながら読むと、
『ゴルギアス』は単なる古典ではなく、現代人のための警告書として立ち上がってくる。
『ゴルギアス』の大まかな構成
『ゴルギアス』は大きく三段階で進む。
- 弁論家ゴルギアスとの議論
- 政治家ポロスとの議論
- カリクレスとの全面対決
前半は比較的穏健だが、カリクレスとの議論から一気に思想の核心に突入する。
読者にとっても、ここが最大の読みどころである。
『ゴルギアス』のテーマを一言で言うと何か
本作の中心テーマは、次の問いに集約できる。
「成功」と「正しさ」は、同じものなのか。
これは現代社会でも、日常的に突きつけられている問いである。
- 業績を出した人は正しいのか
- 選挙に勝った政治家は正義なのか
- ルールを破ってでも成果を出せば評価されるのか
この問いに対して、作中で最も明確な答えを出すのがカリクレスだ。

カリクレスの主張:
「自然に従えば、強者が支配するのが正しい」
カリクレスは、当時のアテネ民主政の「道徳」そのものを痛烈に批判する。
彼の主張を整理すると、次のようになる。
① 正義とは「弱者が作ったルール」にすぎない
- 多数派である弱者が、少数の強者を縛るために作ったのが「法律」や「正義」
- 本来、自然(ピュシス)においては、強い者が多く持ち、弱い者が従うのが当然
② 真に優れた人間は、欲望を抑えない
- 節制や自制は、弱者の自己正当化
- 優れた人間は、力も欲望も大きく、それを思う存分満たすべき
③ 哲学は若者の遊びにすぎない
- 若いうちは役に立つかもしれないが、大人が哲学にこだわるのは滑稽
- 現実政治の世界では、力・雄弁・支配こそがすべて
カリクレスは、「現実主義」「強者の論理」「成果主義」を極限まで純化した思想家として描かれている。
現代的に言えば、「勝った者が正しい」「成功者こそ正義」という価値観の体現者である。
カリクレス=「成果主義を極限まで突き詰めた人」
カリクレスの主張は、現代的な言葉に置き換えると、次のようになる。
- 社会のルールや倫理は、弱者が作った足かせ
- 本当に優れた人間は、力も才能も欲望も大きい
- 強い人間がより多くを手に入れるのは自然なこと
- 勝った者、成功した者が正しい
これは、
短期的な成果・数字・勝敗を絶対視する価値観そのものだ。
ビジネスとの対応関係
- 業績さえ出せば、やり方は問われない
- 結果がすべて、プロセスは二の次
- 法律ギリギリでも、勝てば評価される
政治との対応関係
- 選挙に勝てば民意
- 強いリーダーこそ正義
- 説明責任よりパフォーマンス
カリクレスは、現代にいれば「切れ者」「現実をわかっている人」と評価される可能性が高い人物だ。
ソクラテスの反論:
「魂の秩序」を失うことこそ、最大の不幸
ソクラテスは、カリクレスの主張を感情的に否定しない。
むしろ、その論理を最後まで追い詰めたうえで、根本から覆そうとする。
① 欲望を無制限に満たす人生は、幸福ではない
ソクラテスは有名な比喩を用いる。
- 穴の開いた壺に水を注ぎ続ける人生
- それが、欲望を抑えない生き方だ
満たしても満たしても足りない欲望は、決して幸福をもたらさない。
節制とは「我慢」ではなく、魂の秩序なのである。
② 不正は、魂を壊す
ソクラテスにとって、人間の本質は「魂」にある。
- 不正を行う → 魂が歪む
- 罰を受ける → 魂が矯正される
ゆえに、
不正を犯して罰を受けないことこそ、最大の不幸
という結論に至る。
③ 真の強さとは「自己支配」である
他人を支配する力よりも、
自分自身の欲望を支配できる力のほうが、はるかに高度で強い。
カリクレスの言う「強者」は、実は欲望の奴隷にすぎない、とソクラテスは暗に示す。
ソクラテスの反論は、なぜ「きれいごと」に聞こえるのか
カリクレスの主張に対して、ソクラテスは真逆のことを言う。
不正を行って成功するより、
正しく生きて不利益を被るほうが、まだましだ。
現代感覚からすると、かなり理想主義的に聞こえる。
しかし、ソクラテスの議論の核心は、「長期視点」にある。
ソクラテスが問題にしたのは「魂の状態」
ソクラテスにとって、人間の価値は
地位・金・権力ではなく、魂のあり方で決まる。
彼の論理は、次のように整理できる。
- 不正を行う → 魂が歪む
- 歪んだ魂のまま成功する → 内部から崩壊する
- 罰や失敗は、魂を修復する機会になりうる
つまり、
「成功しているか」よりも、「壊れていないか」が重要だ、という視点である。
現代社会で起きている「ゴルギアス的状況」
現代社会は、カリクレスの思想が勝利した世界に近い。
- 成果主義の過激化
- SNSによる承認競争
- 短期的な評価のインフレ
- 謝罪より言い訳、反省より勝利
結果として起きているのが、
- 不祥事の連鎖
- 組織の倫理崩壊
- リーダーへの不信
- 「なぜ働くのかわからない」という空虚感
これは、魂の秩序が後回しにされた結果とも言える。
ソクラテスは「勝ち方」を問題にしている
重要なのは、ソクラテスが
「成功するな」「勝つな」と言っているわけではない点だ。
彼が問うているのは、ただ一つ。
その勝利は、あなたを壊していないか。
- 自分を偽っていないか
- 欲望に振り回されていないか
- 取り返しのつかないものを失っていないか
ソクラテスにとっての「強さ」とは、
他人を支配する力ではなく、自分を支配できる力だった。
『ゴルギアス』は現代人へのチェックリストである
『ゴルギアス』は、答えを与える本ではない。
むしろ、次のような問いを読者に残す。
- それは「勝利」か、それとも「自己破壊」か
- それは「現実的」か、それとも「短絡的」か
- あなたはカリクレスに拍手していないか
現代社会を生きる私たちは、
知らず知らずのうちにカリクレス側に立っている。
だからこそ、ソクラテスの言葉は耳に痛い。
まとめ:なぜ今『ゴルギアス』を読むべきなのか
『ゴルギアス』は、
「成果がすべてになった社会で、人はどこまで壊れていいのか」
という問いを突きつける。
- 成功と正義は一致するのか
- 強さとは何か
- 人生をトータルで見たとき、何が「得」なのか
この問いに、即答できないからこそ、
『ゴルギアス』は2500年経っても色褪せない。
わかりやすく言えば、こうだ。
勝てば正しいのか。
それとも、正しいからこそ負けを引き受けるのか。
この問いを自分の問題として考えさせる点に、
『ゴルギアス』の現代的価値がある。
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