哲学といえば、プラトンです。
そしてプラトンと言えば、ソクラテスです。
今回は、プラトンの古典である「ソクラテスの弁明」を読み解いてみたいと思います。
この作品に描かれたソクラテスから、ソクラテスがどういう人であったか、再構成してみましょう。
ただし、あくまで本書をもとに得られた情報だけでソクラテスを素描していきます。
この本以外のソースはありません。
一体、ソクラテスとは何者で、何を主張した人物なのか、さっそく物語のなかに入っていきましょう。
「ソクラテスの弁明」とは
まず始めに、今回使用した本についてご紹介しておきます。
以下の引用はすべてこちらからのものです。
それ以外の出典があれば、その都度、出典を明記していきます。
さて、「ソクラテスの弁明」ですが、ソクラテスの弟子のプラトンによって書かれました。
数多くのプラトンの作品のなかでも、初期に書かれた著作とみなされています。
ソクラテスが死んだのはBC399年、当時プラトンは28歳前後です。
この作品に描かれた裁判の結果、師ソクラテスは毒杯をあおいで死ななければなりませんでした。
死にゆくソクラテスの姿は「パイドン」のなかに描かれています。
では、ソクラテスは何の罪で告発されて裁判で弁明しなければならなかったのでしょう?
本書から引用しましょう。
ソクラテスは不正を犯している。若者たちを堕落させ、かつ、ポリスが信ずる神々を信ぜず、別の奇なダイモーンのようなものを信ずるがゆえに
「ソクラテスの弁明」光文社古典新訳文庫 p41
これが告発者が訴えるソクラテスの罪です。
このような訴因で裁判が成立するということは興味深いことでもあります。 ”若者たちを堕落させ”ることは、まず犯罪のようです。
さらに、ポリスが認める神々以外の神を信じることも同様に犯罪を構成するようです。また、アテネの裁判には検察官も弁護士もおらず、被告と原告が直接主張をぶつけ合う形式であるのも興味深いことです。
なお、双方の主張時間も水時計で決まっており(同 p10)、双方の言い分を吟味して判決を下す裁判官は500人ともいわれ、専門の裁判官ではなく、アテネ市民の代表が裁判官を務める形式のものでした。
ですから、500人を収容できる会場といえば、相当の規模でなければなりませんし、双方の主張といっても、静かに訥々と語るのではなく、むしろ演説と言った方がいいようなものでしょう。
このような舞台状況を想像したうえで、ソクラテスの主張を見ていきましょう。
裁判の背景
この裁判に臨んだとき、ソクラテスは70歳でした(同 p18)。彼にはクサンチッペという妻と、三人の息子がいたこともわかっています(同 p78~79)。
また、彼はアンティオキスという部族の出身であり(同 p69)、その代表として評議会の議員を務めたことがあります。
評議会とは、国事を遂行する機関のようで(同 p45)、10に分かれていた各部族が交代で担当していたようです。
ソクラテスは自身の弁明を、古い告発者と新しい告発者とに分けて、それぞれについて説明することから始めています。
新しい告発者とは、今回の裁判の告発者、具体的にはアニュトスやリュコン、メレトスなどの若い人たちです。
古い告発者とは、ソクラテスがそれまでの人生で問答を重ねてきた人たちのことです。
ソクラテスは、アテネ社会のさまざまな階層の人々をとっつかまえて、その知識について対話を続けてきたのです。
なぜそんなことをしたのかといえば、そもそもの発端はアポロンの神託にあります。
ソクラテスの友人であるカイレフォンがデルフォイの神殿に赴いて、祭神であるアポロンに神託を伺ったのです。
その時のお告げが、「ソクラテスより知恵のあるものはいない」というものでした。
ソクラテスはこの神託を信じました。
あれほど人々との対話において疑問を呈し、容易に納得しなかったソクラテスですが、神託は素直に受け入れたのです。
彼は神託の真意を探るために、知者とされている人々と問答しようと思い立つのです。
最初は政治家、次は作家、最後は職人たちに、彼らが知っている知識が本当の知識であるかどうか問い尋ねてまわったのです。
その結果判明したのは、彼らが知っていると思い込んでいる知識が、じつは本当の知識ではなく、彼らは実際は何も知らないということがソクラテスによって明らかになったわけです。
これは問答の相手となった人にとっては、大変迷惑な話だったでしょう。
ソクラテスもこういった行為が恨みと憎しみを買う結果となったことをよく理解しています。
自分の知識に自信をもつ人が、ソクラテスによってその無知をあばかれるというのは、対話を見物している人にとっては楽しい見世物だったでしょう。
とくに若者にとっては、対話者が社会的地位が高い人であればあるほど、拍手喝さいの対象だったのではないでしょうか。
ソクラテスはこういう次第もよく理解しています。
彼ら古くからのソクラテスの敵対者たちが、政治家や職人を代表してアニュトスが、詩人を代表してメレトスが、弁論家を代表してリュコンが、新しい告発者として、ソクラテスを裁判にかける次第となったのです。
ソクラテスの問答法
では実際に、裁判でのソクラテスとメレトスとの問答を見てみましょう。
以下にまとめるとこうなります(同 p42~p55)。
ソクラテス | メレトス |
若者ができるだけ善くなることは大切か | 無論 |
誰が若者をより善くできるのか | ・・・ |
答えてくれ。誰が若者をより善くできるのか | 法律だ |
「何が」ではなく、「誰が」と聞いている | ここにいる裁判員だ |
ここにいる全員かね? | 全員だ |
評議員も? | 評議員もだ |
では私以外のアテナイ人すべてというわけだ |
そうだ |
馬をより善くできるのは一部の調教師だけだが、人間をより善くできるのも一部の人間だけなのではないか |
・・・ |
以上は問答の前半部で、まだ問答は続きますがもう十分でしょう。
メレトスはソクラテスの敵ではないのです。
ソクラテスによって逆にやりこめられてしまうのです。
ソクラテスの主張
ソクラテスは、自身に向けられた告発をこのように否定していくわけですが、彼の主張で興味深い論点が二つあります。
一つ目は、ダイモーンのこと(同 p67~68)。
もう一つは、死は善いものであるということ(p101~102)。
まずはダイモーンから見ていきます。
このダイモーンは、ソクラテスにとって子どものころからの馴染みの存在のようです。
そしてこのダイモーンの興味深い点は、何かをするな、という形でソクラテスにささやくのだそうです。
続く作品「クリトーン」において、ソクラテスは脱走を勧めるクリトーンを退けて毒杯をあおいで死にますが、この行為もまた、ダイモーンのささやきと考えれば、ソクラテスが脱走しなかったのも頷けるのです。
もう一つの、死は善いものであるという確信についても見ていきましょう。
これは、本作品の最後で述べられている思想ですが、論旨はこうです。
死後の状態は次の2種類しかない、すなわちまったく意識を失って熟睡状態のようになるか、あるいはあの世のような場所へ行くか生まれ変わるか。
最初の議論は魂が無い場合で、後者は魂があるとした場合です。
つまりどちらにしても、死は恐れる必要のないものであり、なぜなら熟睡ほど気持ちのいいものはないし、あの世なり生まれ変わるなりするにしても、それはそれで喜ばしいことだから、というのがソクラテスの言い分です。
なるほど、確かにその通りで、どちらにしても死は悪いことではないと思わせる美しい知恵です。
こういった健康的な知恵を扼殺してしまったのがキリスト教の死後の裁きと地獄の思想ですが、クリスチャンでない人にとっては古代ギリシャの知恵を尊重したい気持ちになるでしょう。
ソクラテスのなかに生きているのは、古代ギリシャの健康的な伝統なのです。
判決
さて、肝心の裁判がどのように決着したか、いわずもがなですが、この文章を締めくくるために言及しておきましょう。
ソクラテスは何ら罪を犯していないと信じているわけです。
むしろ、アテネ市民の魂の向上に貢献しているという意識すらあるのですから、外交使節などの要人を歓待するための施設であるプリュタネイオンで食事をいただくという提案までしてしまいます。
さすがに裁判員の心証を害することを怖れた弟子たちの強いすすめもあって、30ムナの罰金を申し出ます。
投票が行われ、ソクラテスの申し出は却下され、結果は死刑となります。
死刑判決のあと、ソクラテスの演説がもう一度行われ、そこで「死は善いこと」の思想が語られるのです。
むしろ、この思想を表明するために死刑判決を引き出したような印象さえ感じます。
この点は実際の裁判の流れとは異なり、プラトンの創作かもしれませんが、真相はわかりません。
いずれにしても、この「ソクラテスの弁明」を読後感は、決して悲壮なものではなく、むしろ明るい印象で終わるのは、この最後のソクラテスの演説によるのではないでしょうか。
まとめ
長々とプラトンの「ソクラテスの弁明」についてご紹介してきました。
本作は、プラトンの作品のなかでも読みやすいものとは言えないかもしれません。
ソクラテスの独白というか演説で構成されている本作は、初心者にはなじみにくいものかも知れないからです。
ただ、今回ご紹介した 納富信留訳「ソクラテスの弁明」光文社古典新訳文庫 は、従来の訳とは違い、きわめて読みやすくわかりやすい作品であることは議論の余地はありません。
興味のある方は、ぜひ本書に目を通して、プラトンの世界に足を踏み入れてほしいと思います。
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