性善説についてわかりやすく簡単に

中国史

性善説という言葉は、少なからず誤解されているようです。


なかには、生理的な反発を感じる人もいるようです。
日々の経験から、人間が本来、善の存在であるという認識にはついていけないのかもしれません。


ですが、単純に結論を出す前に、この「性善説」という言葉をめぐって少し寄り道をしてみたいと思うのです。


なぜなら、私たちは大きな勘違いをしているのかもしれないからです。
性善説という言葉が生まれた背景と、この言葉が指し示したかった本当の姿を知ることで、今までとは全く違ったパースペクティブが開けると思います。


まずは、現代において「性善説」という言葉がどのように受け止められているか、ここを尋ねてみましょう。

現代における性善説

現代では、「性善説」という言葉は、何となくうさん臭いイメージを伴うようです。


あるいは、おめでたい、真面目に相手にしてはいけない、などのネガティブな反応で迎えられがちではないでしょうか。


こんな言葉を真面目に信じてはいけない、そんな人生訓めいた説教も食らいそうな勢いです。


なぜ、そうなったのでしょう?


これは、言葉の誤解からきているのではないでしょうか。
「性善説」という言葉には、人間は本当は善人なんだから誰にでもやさしく心を込めて接しなければならない、という意味はまったくありません。


そんなことをしていたら、寄ってくるのは詐欺師だけになってしまいます。


人間は顔がそれぞれ違うように、心もまたそれぞれ異なります。


すべての人が善意のみで近寄ってくるわけがないのです。
もちろん、そんなことは私たちは経験で心得ています。
そしてその認識と「性善説」という言葉とは無関係なのです。


ですから、この小さな探求は、そういった誤解から「性善説」を救い出す旅でもありそうです。


それでは、「性善説」とは一体どういう意味でしょうか。
そもそも、誰が言い出したことなんでしょうか。

性善説の本来の意味

出典:Wikipedia

性善説を唱えたのは、中国戦国時代(BC403~BC222)の思想家である孟子(BC385前後~BC305前後)です。


戦国時代は、周王朝の権威失墜により、七国(韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦)を中心に各地の封建諸侯が覇を競い合ったダイナミックな時代です。


後世の私たちが中国古典として親しんでいる「孟子」や「荀子」、「墨子」「韓非子」「荘子」「老子」などはこの時代に生み出されたものです。


孟子は儒教の学統を継ぐ人で、相当の大物であったことが「孟子」の中からも読み取れます(滕文公章句下)。


その孟子が主張したのが性善説ですが、その意味するところは「人間の本質は善である」ということです。


その主張の内容は次で詳しく見ていきますが、ひとつ注目したいのは、孟子が活躍した当時、血で血を洗う戦国時代に、「人間の本質は善か悪か」という議論が存在したことです。


一見すると、いい大人がすいぶん呑気な話を議論していたものだ、という気にもなりますが、この哲学的議論が大真面目に論じられていたことは注目されてよいと思います。


そして、孟子が声高に性善説を主張した背景には、あきらかに「人間の本質は悪である」という議論が大勢を占めていたことを意味します。


「孟子」には孟子の議論の相手である告子との論争なども収録されており、当時の空気を知るためには非常に貴重な文献となっています。


なお、以下で孟子と書く場合は人名を指し、「孟子」と書く場合は書名を意味するように区別します。


それでは、孟子の主張に耳を傾けてみましょう。
彼は何を言いたかったのでしょうか。

「孟子」における性善説

孟子の主張をいくつかのポイントに分けて整理してみましょう。


試みに以下の3つに分類してみます。


1.人間の行動は利害関係のみで説明できないこと
2.人間は弱いため、大切に育て、導いてやる必要があること
3.人間を悪に走らせるのは、主に政治の責任であること

それぞれについて説明していきます。

まず1.についてですが、利害関係だけでは人間の行動を説明できない例として、孟子は、井戸に落ちそうになっている子どもを助けようとする心理を指摘します。

「今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心。非所以内交於孺子之父母也。非所以要誉於郷党朋友也。非悪其声而然也。」
 

(公孫丑章句上)

(私訳)「いま子どもが井戸に落ちそうになっているとき、誰しも驚いて子どもを助けようという気持ちになるであろう。こういった気持ちになるのは、子どもの親と近づきになりたいという下心があるからでもなく、友人や世間の評判をあてにしてのことでもない。ただ、子どもの泣き声を聞きたくないばかりにそういう行動をとるのだ」

孟子は説明のためにあえて行動の理由づけをしていますが、実際はそんな解釈を入れる余地などはありません。


無意識のうちに体が動いてしまうのが真相でしょう。


しかし、その動機が利害関係から導かれたものでないことは孟子の言う通りです。


こういった心の働きを孟子は「惻隠之心」と呼びました。


これは考えてみれば不思議なことです。


なぜ人間はそういった行動をとるのでしょう。
一文の得にもならないことをどうしてするのでしょう。


孟子のもうひとつの例を聞いてみましょう。


斉という国の宣王との問答です。
孟子は宣王に問いかけます。


「以前、犠牲として引かれていく一頭の牛を王がご覧になったときの話として聞いています。その牛がいかにも行きたくないといった風情であったのをご覧になって、側近に尋ねたそうですね。あの牛はどこに連れていかれるのか、と。側近が答えるには、鐘に血塗るための犠牲の牛です、と。その牛のさまを哀れに思われた王が、止めよ、とおっしゃった。側近が答えていうには、では、この儀式を中止にするということでよろしいですか。王はこう命令された。儀式を止めることはない、牛の代わりに羊を用いよ、と。これは事実ですか」


宣王は事実であると答えます。


孟子は、なかには、王は牛が惜しいために羊に替えた、と批評する輩もおりますが、と少々意地悪に話を進めます。


この孟子の指摘に宣王は、斉は小さい国とはいえ、どうして牛一匹を惜しむことがあるものか、と反論します。


孟子はさらに畳みかけて、牛を気の毒に感じたなら、羊に替えたのも妙な話ですよね。牛も羊もともに殺されるのは変わらないわけですから、と宣王を追いつめます。


孟子の指摘を聞いて、さすがに宣王は苦笑してしまいます。


確かにその通りだ、牛を哀れに思ってかわりに羊を犠牲に供せよと命令したのは、いま考えてみればおかしな話ではないか。


してみれば、牛を惜しんだと陰口を叩かれるのも無理はない、そう宣王は答えるのです。


ここまでくれば孟子の思惑通りといったところでしょう。

「無傷也、是仁術也。見牛未見羊也」

(梁恵王章句上)

(私訳)「気にすることはありません。これが仁のあらわれというものです。牛は王が実際にその姿を見ていましたが、羊は王にとってただの言葉に過ぎなかったからです」

孟子の鮮やかな指摘は、私たちに自身の心をみつめさせる効果があります。


孟子の性善の信念は固いものですが、ここで、ひとつ反論もしてみたいと思います。


世の中には、良心というものを持たない人間もいるではないか。
現代社会では、そういった人物はサイコパスとして人口に膾炙しているではないか。
人間の本質が善であるとは必ずしも言えないではないか。


こういった反論には孟子はこう答えるでしょう。


確かにそういう人間は存在する。
しかし、それは特殊な欠損として理解すべきなのだ。
心の大切な何かが欠けている場合だってありうるではないか。


孟子は、「惻隠之心」が欠けている場合を否定しません。
手足を欠いて生まれる人がいるように、人間はつねに五体満足で生まれるとは限りません。
体ですらそうなのですから、「惻隠之心」を欠く人間がいても孟子にとっては不思議ではないのです。


そして、生まれつき「惻隠之心」がない人もいれば、成長するにしたがって「惻隠之心」を失くしてしまう人もいるのです。


孟子にとってはむしろ後者の方が重要で、なればこそ、彼は繰り返し繰り返し、「惻隠之心」を育て養っていくことを主張するのです。

そして、「惻隠之心」を失わせるのは、政治に主な責任があるというのも孟子の主張です。


人々を貧しさと抑圧のなかに捨てておいてどうして人間らしさを維持することができるか、というのが孟子の信念で、ここから彼の政策論となるわけですが、性善説とは少し趣きが違いますので今回はそこまで踏み込まないことにします。

性善説に対する批判

性善説に対する批判としては荀子の性悪説が有名です。


性悪説は、人間の本質は悪であると規定し、教育によって善に向かわせる必要を説いています。


また、社会秩序に関しても孟子よりも徹底的に考えている側面があり、きわめて興味深いところもありますが、詳細は別に譲りたいと思います。


ここでは、「孟子」に紹介されている孟子の論敵、告子の主張に焦点をあてて紹介していきます。


孟子が活躍した時代の空気を知るために、当時の論客がどのように考えていたか、見ていきましょう。

告子の主張

告子がどのような人物であったか、その詳しいところはよくわかりません。
ただ、公孫丑章句上に、

「告子先我不動心」

(公孫丑章句上)

(私訳)「告子は、私より先に不動心を得た」

とありますから、孟子より年長であったのでしょう。


「墨子」という本の公孟編にも告子が登場しますが、もしこの告子が「孟子」の告子と同一人物ならば、彼はもともとは墨家だったことになります。


さて、告子が人間の本質についてどういう見方をしていたかといえば、彼はこんなことを言っています。

「性無善、無不善也」

(告子章句上)

(私訳)「人間の本質というのは、善も不善もないのだ」

またこんなことも言っています。

「性猶湍水也、決諸東方則東流、決諸西方則西流。人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也」

(告子章句上)

(私訳)「人間の本質というのは、たとえるなら急流の水のようなものだ。東に流せば東に向かうし、西に流せば西に向かう。人間の善だの不善だのは定まった性質ではない。水が東西を問わずに流れるのと同じだ」

つまり、性善説はおろか、性悪説をも否定する立場です。


人間が善であるか悪であるかは環境によるのです。
持って生まれた性質はまったく関係ありません。
現代でも、こういった見解は受け入れられやすいのではないでしょうか。


しかし、この告子の思想には力強さがまったくありません。


いわば、秩序を形成していく意思が感じられないのです。


どこか傍観者のような態度です。


しかも、告子が生きたのは戦国時代で、秩序がきわめて動揺した時代です。
そのような時代に、このような傍観者的な思想では、結局何も生みだしはせず、ただ個人の安寧をはかるのみの消極的な姿勢しか出てこないでしょう。


あるいは、戦国時代だからこそ、こういう態度が流行だったのかもしれません。


儒家の理想を実現すべく奮闘する孟子にとって、このような極楽とんぼの言論は放っておけなかったのかもしれません。

まとめ

かつて小林秀雄は、性悪説は性善説を打ち破ることができなかったとして、孟子の思想に共感を表明したことがあります。(小林秀雄「考えるヒント」)


確かに、孟子を読んで奮起する人はいるでしょうが、性悪説で奮起したという人に会ったことはありません。


所詮、性悪説は私たちの生活の知恵という範囲をでない思想なのです。


一方、性善説は、私たちに人間の心の不思議さを再認識させてくれます。


小林秀雄がいうように、性善説は決して古臭い思想ではありません。
いまでも人々の心を動かす力を持った思想だということができます。

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