「孫子」を知らない人はいないでしょう。東アジアのみならず世界中で読まれ続ける名著のなかの名著です。
「彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆うからず」などの言葉をご存じの方も多いのではないでしょうか。今回は名著「孫子」の解説を試みようと思います。
「孫子」は有名な作品ですから、すでに多くの論者が「孫子」について語っています。
シェイクスピアと同じで、「孫子」に関しては新しい発見というのはありえないのではないでしょうか。すばらしい卓見であっても、すでにどこかで誰かが指摘していることに違いないからです。
いまさら「孫子」でもないという気もしますが、とりあえずやってみましょう。
なお、引用は 金谷治 訳注「新訂 孫子」岩波文庫 によったことをお断りしておきます。
「孫子」について
「孫子」の著者は春秋時代に活躍した孫武(紀元前535年?~?)です。
伝記は史記の巻六十五にありますが簡潔なもので、結局どんな人物なのかはよくわかりません。
ただ、巻六十五の「孫子呉起列伝」と巻六十六の「伍子胥列伝」から察するに、孫武は伍子胥と並ぶ呉の名将であったようです。
伍子胥は悲惨な最期を遂げていますが、孫武については記録が残っていないためその最期は不明です。
おそらく身の危険を感じて呉を去ったのでしょう。あまりに優れた人材は周囲から警戒されて寿命を全うできないパターンが多いからです。
漢帝国の樹立に多大の貢献をした韓信などはその典型的な例だといえます。
孫武は軍事の天才であっただけでなく、政治についても鋭い嗅覚を備えていたことがわかります。
「孫子」の構成
「孫子」は十三編で構成されています。
第一 計篇
第二 作戦篇
第三 謀攻篇
第四 形篇
第五 勢篇
第六 虚実篇
第七 軍争篇
第八 九変篇
第九 行軍篇
第十 地形篇
第十一 九地篇
第十二 火攻篇
第十三 用間篇
以上、十三編です。第一から第三までは戦争そのものについての総論、第四から第六は軍隊のあり方に関する抽象的な一般論、第七から第十二までは戦場での具体的な方法論、最後の第十三はスパイに関する説明です。
この十三篇のなかから、孫子の戦争に対する思想がうかがわれる名言をピックアップしてみましょう。
戦争の哲学
兵とは国の大事なり
この文句は「孫子」の開巻劈頭にある有名な言葉です。
孫子曰く、兵とは国の大事なり。
計篇 p26
軍隊というのは、国の存亡がかかっている重要な問題である、だから慎まなければならない、そういう意味です。
当たり前の話ですが、この当たり前のことが通用しないのが世の中というものです。
そんなことはわかっている、という捨て台詞が聞こえてきそうですが、孫武があえて巻頭に掲げたその思いをくみ取ってみなければなりません。
実際、戦争というのは金がかかります。孫武は書いています。
孫子曰、凡用兵之法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里饋糧、則内外之費、賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日費千金、然後十万之師挙矣
作戦篇
かなり具体的ですのでイメージしやすいと思います。
「馳車」というのは戦車のこと。単位が「駟」ですので、四頭立ての馬車だったのでしょう。それが「千駟」ですから馬が4千匹必要になります。
「革車」というのは岩波文庫の注によれば輜重車。輸送のための車です。
なにしろ武装した兵士十万の大軍であれば、その食料だけでも膨大な量になります。
食料だけではありません。「膠漆之材」つまり武具の材料も必要になります。武具は使えば損耗していきますから、メンテナンスが必要です。
さらに「賓客之用」、外交のための費用も必要です。
こうやって数え上げてみると戦争のための費用は膨大なものになります。
その処理のための事務作業もまた膨大なものになるでしょう。
戦争はまさに大事業です。しかも国家存亡を懸けた大事業です。
「察せざるべからず」と孫武が強調するのも当然でしょう。
用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ
では、いざ戦争となったとき、もちろん戦争ですから勝たなければなりませんが、どういう勝ち方が一番いいのでしょう。
孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするのを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。
謀攻篇 p44
つまり戦わないで相手を屈服させるのがベストだということです。
国を破るより国を全うさせるに如くはない、軍を破るより無傷で降伏させるに如くはない、大隊を打ち破るより無傷で降伏させるのがよい。
孫子は最後に次のように話をしめくくります。
是の故に、百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。
謀攻篇 p45
この言葉を読んで連想したのは、アメリカのイラク占領政策です。戦闘行為としてはアメリカはイラクを圧倒しました。フセイン大統領を即席裁判で有罪判決を下し、さっさと処刑してイラクを粉々に砕きました。その結果はどうなったでしょう。
テロが頻発し、治安は一気に不安定化し、イラク社会は国という枠組みを失いより小さなグループに細分化してイスラミックステートのような極端な国家運動の温床ともなったのです。イラクの人々はいまもなおアメリカによる侵略の後遺症に苦しんでいます。
まさにアメリカは下手な戦争をしたのです。アメリカはイラク戦争で得たものよりも失ったもののほうが大きいはずです。
「孫子」ではありませんが、「兵とは国の大事なり」です。そして戦うなら「戦わずして人の兵を屈する」方法を考えるべきなのです。
兵の形は水に象る
少し床屋政談めいてきましたので、あまり話を大きくしないようにします。緊張して古典を読んでもおもしろくありません。政治の話などは専門家だけでやってもらえればいいので、ここからは気楽に「孫子」を紹介していこうと思います。
夫れ兵の形は水に象る。
虚実篇 p87
「上善は水の如し」の老子みたいな言葉です。こんな言葉もあります。
故に兵を形すの極は、無形に至る。
虚実篇 p85
つまり、物事を固定した姿でとらえてはいけない、ということです。
こうだ、こうあるべきだ、という思い込みを捨てなければいけません。
とはいうものの、いざ実行に移すのは難しいことです。私たちはさまざまな思い込みにとらわれて生きていますからね。
あるいは、とりあえずこうだと思いこまないと先に進まない場合もあります。難しい問題ですが、この「孫子」の戒めは心にとどめておきたいものです。
何かに行き詰ったときにこの言葉を思い出して冷静になってみることで、思わぬ突破口が見つかるかもしれません。
戦争の実際
「孫子」は戦争の実際についてもいろいろと書かれていて当時の中国を想像するよすがとなります。興味深い点をいくつかご紹介しましょう。
昼戦に旌旗多く、夜戦に金鼓多し (軍争篇)
戦場で兵士に命令伝達する手段として用いられたのが「旌旗」と「金鼓」です。
昼間の戦闘では「旌旗」が、夜間では「金鼓」が多く用いられたようです。実際は両方をミックスしていたのでしょう。
一般的に、大軍になればなるほど命令伝達は難しくなります。
とくに戦闘中の伝達は困難を極めたでしょう。見晴らしのいい平原での戦闘なら、「旌旗」、つまり大きな旗が伝達のための目印になったでしょう。
細かく命令伝達するためには、旗も各部隊ごとに分けていたでしょうから、大軍になればなるほど「旌旗」の数も大量になったわけで、そう考えれば蘇軾(1037~1101)の前赤壁賦にある「旌旗蔽空」という言葉も納得がいくわけです。
一方、夜間の戦闘では「旌旗」は見えませんから役に立ちません。
「金鼓」の出番ということになります。
ただ、夜間の戦闘は敵にとっても味方にとっても非常に危険なものです。「金鼓」を使うといっても、伝達できる命令は限られたものになるのではないでしょうか。
「前進」や「停止」「待機」や「退却」などのシンプルなものだったと思います。
間を用うるに五あり (用間篇)
「間」というのはスパイのことです。
中国のスパイといえばハニートラップが有名ですが、孫武の時代からスパイについて考察を加えていたことに驚きます。
スパイは中国のお家芸といってもいいでしょう。
そもそも戦争は金がかかります。むやみやたらに大軍を動かすわけにはいきません。
そこで必要になるのが情報収集の専門家・スパイです。
スパイには5種類ある、と孫武は言います。
「郷間」「内間」「反間」「死間」「生間」の5種類です。岩波文庫から引用しましょう。
郷間というのは敵の村里の人々を利用して働かせるのである。内間というのは敵の役人を利用して働かせるのである。反間というのは敵の間諜を利用して働かせるのである。死間というのは偽り事を外にあらわして身方の間諜にそれを知らせ〔て本当と思いこませ、〕敵方に告げさせるのである。生間というのは〔そのつど〕帰って来て報告するのである。
用間篇 p179
詳細な分類です。
少なくとも中国では古代よりこの5分類に従ってスパイを使いこなしていたわけです。
スパイに関しては中国はまれにみる先進国といっていいでしょう。
まとめ
「孫子」の関連書籍はまさに汗牛充棟です。
軍事的観点から論じたもの、ビジネスの観点から論じたもの、古典文学として論じたもの、切り口はさまざまですが、どれも読みごたえのあるものばかりです。
ぜひ一度「孫子」の世界に触れてみてはいかがでしょう。
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