孫文を知らない人はいないでしょう。中国では「国父」と称される革命家であり政治家です。
現在の中国と台湾の対立の淵源ともいえる人物でもあります。
今回は孫文の政治哲学、とくに「三民主義」に注目してご紹介していきます。中国政治思想史において画期的なものなのか、それとも伝統的哲学の焼き直し的側面が強いものなのか、私の感想としては後者のイメージが強いのですが、実際はどうなのか。
「三民主義」本文にあたって確認していきましょう。
なお、引用については、孫文著 安藤彦太郎訳 「三民主義」岩波文庫によったことをお断りしておきます。
孫文について
孫文(1866~1925)は広東省に生まれ、香港で医師として活動したあと、清帝国の中国で革命運動に身を投じるようになります。
そのため中国国内ではおたづねものとなり、海外を流浪する日々を送ります。ロンドンでは清帝国の役人に誘拐されたこともあり、危機一髪の経験もしています。
日本とも因縁浅からぬ人物で、宮崎滔天や平山周、頭山満などが孫文の革命運動を支援しました。
何度かの失敗を経て、1911年辛亥革命が勃発し、孫文はアメリカから帰国し、中華民国臨時大総統に就任します。
しかし、軍事力を背景に袁世凱ら軍閥が台頭し、中国は四分五裂の混乱状態に陥ってしまいます。
孫文は広東軍政府を樹立するなど、革命の成就のために奔走しますが、1925年、北京で病死しました。
残された遺書は2通、うち1通を全文引用しましょう。
余は国民革命に力を致すことおよそ四十年、その目的は中国の自由・平等をもとめるにあった。四十年の経験を積んだ結果、この目的を達成するためには、民衆をよびさまし、そして、世界でわれらを平等に待遇する民族と連合し、ともに奮闘しなければならぬことを深く知るにいたった。
いま、革命はまだ成功していない。われらが同志はすべて、余のあらわす「建国方略」「建国大綱」「三民主義」および「第一次全国代表大会宣言」にもとづいて努力をつづけ、その貫徹をもとむべきである。最近の主張たる国民会議の開催、不平等条約の廃除は、とくに短期間内にその実現をうながすべきである。心からこれをあとに托する。孫文
三民主義(下) p254
今回ご紹介するのは遺書に言及されている「三民主義」についてです。「三民主義」は、
・民族主義
・民権主義
・民生主義
の3つから成り立っています。まずは「民族主義」から見ていきましょう。
民族主義
中国で大多数を占める「漢人」の覚醒、それが孫文の「民族主義」です。
「漢人」が「漢人」であることを自覚し、そして異民族に支配・搾取されている現実に目覚め、その現状を改善していくための意識改革です。
「国家」を発展させるためには、まず「国民」をつくらなければならないということです。
構成員たる「国民」不在の「国家」などありえません。それぞれが「国民」としての意識にめざめてこそ、「国家」100年の計も立つというものです。
ただ、孫文によれば、中国では「民族主義」という意識は失われており、その原因は異民族による支配が長かったため、とされています。
具体的には満州族による中国の統治、「清帝国」によって中国の「民族主義」は消えてしまった、と孫文はいいます。
さらに、イギリスやフランスなどの西洋列強による圧迫で「半植民地」どころではない「次植民地」に落ちぶれてしまった、というのが孫文の理解です。
この現状を打破するために必要不可欠な第一歩、それが「民族主義」なのです。
中国で「民族主義」を復活させるには
孫文によれば、「民族主義」を復活させるには「団体」の力が必要だといいます。
中国における個人というのは砂のようにバラバラで、「国家」のような巨大な集団に接続できる中間の団体が存在しない、というのが孫文の理解です。
個人→中間団体→国家、というのが健全な国家意識でしょうが、中国ではこの中間がスッポリ抜けています。
そこで孫文は「民族主義」を取り戻すために「宗族」に注目します。中国における基礎的な団体、社会を構成する根本的な分子として「宗族」に期待するのです。
この「宗族」に対して民族主義を鼓吹し、「宗族」の規範である儒教道徳を基礎として、外国技術を取り入れ、近代化を達成するというのが孫文のプランになります。
民権主義
「民権主義」とは、国民の権利を尊重するということです。とくに選挙権など政治に参加する権利を守るという点に重点が置かれています。
しかし、現代の日本人が享受している人権の尊重とは趣が異なります。その点を見ていきましょう。
「天賦人権説」と違う点
そもそも「天賦人権説」とは、すべての人は生まれながらにして自由であり、かつ平等であるという自然権思想です。
つまり、人が自由であり平等であるのは国家となんの関係もないのです。
国家は、すべての人が生まれながらに持つ権利を保護するのは当然として、侵害することなど許されない、そういう思想です。
孫文がいう「民権主義」はこれとは趣を異にします。
自由や平等などの権利は自然に与えられるものではなく、国家が付与するのです。
国家がなければ、民権もありません。引用しましょう。
けだし民国の民権は、民国の国民のみがこれを享受しうるのであって、この権を民国に反対するものにかるがるしく授け、民国の破壊に力をかすものでは決してないからである。
「中国国民党第一次全国代表大会宣言」 三民主義(下) p214
あくまでも国家が認める範囲内でしか民権は保証されません。どこまでが許されるか、その基準は何か、それを決めるのは国家、ここでは国民党です。
それならば、中国共産党が支配する現在の中国とどこが違うのか、どっちもどっちと言いたくなります。
それはともかく、「民権主義」の民権は限定付きのものである点を忘れてはなりません。中国の独立も危うかった時代的な制約もあったのでしょう。
人民の四権と政府の五権
では具体的に民権の中身を見ていきましょう。
孫文が言及しているのは、人民の四つの権利・四権と政府の五権についてです。
統治権に関する議論ですが、孫文によれば以下のようになります。
四権
・選挙権
・罷免権
・創制権
・複決権
五権
・行政権
・立法権
・司法権
・考試権
・監察権
見慣れない言葉が出てきましたので少し解説していきましょう。
まず四権からです。
四権は人民の権利ですから、これらを行使して人民は政府に対する影響力を持てるわけです。
「選挙権」「罷免権」というのは政府の官吏を選び、そして罷免する権利です。
「創制権」とは、法律を政府に執行させる権利です。
「複決権」は、古い法律の改変・廃止をさせる権利です。
具体的にどのような方法で人民が政府に命ずるのか、孫文は明らかにしていませんが、少なくとも代議政体ではないようです。
「人民が直接に政府を管理」と孫文はいいますが、代議制によらないでそんなことがどうやって可能なのでしょう。本気で言っているとは思えません。為にする議論のように感じます。
では、五権の方はどうでしょう。
こちらは政府の権限なのですが、「行政権」は当然としても、「立法権」が政府の権限である点は驚きます。
「考試権」「監察権」というのは聞きなれない単語ですが、要は試験と弾劾です。
試験の管轄を政府の五権に入れるとは、科挙の長い伝統を持つ中国らしい点といえるでしょう。
弾劾の権利である「監察権」も中国の歴史ではおなじみの官職です。
御史とか諫議大夫などの現代版といえます。
これら人民の四権と政府の五権がたがいに均衡しあって国家は発展する、というのが孫文の言い分ですが、実際にどの程度機能するかはなはだ疑問です。
民生主義
三民主義の最後は「民生主義」です。「民生主義」とはなんでしょう。孫文の言葉を引用しましょう。
民生主義とは社会主義にほかならず、また共産主義とも名づけられる。
三民主義(下)p78
ならば、なぜ「社会主義」や「共産主義」といわず、「民生主義」と呼ぶのでしょうか。
なぜ「社会主義」といわず「民生主義」というのか
孫文によれば、「民生主義」という言葉を使うのは、「一般の人が聞いてわかりやすいから」ということです。
「民生」という言葉は「社会」や「共産」と違って当時の中国人に受け入れやすかったのでしょう。
しかし、「民生主義」は結局「社会主義」であり、さらにいえば「共産主義」の別名に他ならないのです。
具体的な方策として孫文は「地権の平均」を挙げています。
つまり、土地所有者の不労所得を分配しよう、ということです。孫文は書いています。
のちに値上がりした部分の地価を大衆の公有に帰そうというやりかたこそ国民党の主張する地権の平均であり、民生主義なのである。そして、この民生主義は、つまり共産主義なのだ。
三民主義(下)p136
「中国国民党第一次全国代表大会宣言」においても、国民党の原則として、
1 地権の平均
2 資本の抑制
上記の2点を挙げています。当時、共産主義がいかにまぶしい理想と見られていたか、現代に生きる我々には理解しがたい部分もあります。
世界情勢を視野に入れて、共産主義国家のソ連に対する目くばせもあったのかもしれません。
いずれにしても、三民主義の掉尾を飾る「民生主義」の本質は「共産主義」である、という点ははっきりしたと思います。
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