議論の嘘を見破るために 「Informal Logical Fallacies」を読む

書評

議論は相手を説得するためのものです。つまり、自分の意見に相手を従わせること、これが議論の目的です。

長い期間、相手を信じさせるには、議論に真実が含まれていることが必要不可欠です。長く嘘を信じさせることはできません。大切なのは、その嘘を見破る方法です。

今回は、典型的な詭弁のマニュアル本ともいえる Jacob E.Van Vleet 著 「Informal Logical Fallacies」を紹介します。引用文はすべて私訳ですので、その点はご容赦願います。

詭弁とは

詭弁とは、正しくない議論を正しいように見せかけることです。いわば、こじつけです。
この本では、詭弁を5つのカテゴリーに分けています。

・言語的詭弁
・省略の詭弁
・押しつけの詭弁
・前提に含まれる詭弁
・因果の詭弁

それぞれ説明していきます。

言語的詭弁

著者は、このカテゴリーに属する詭弁を5つあげています。そのなかで興味深いものを2つ紹介します。

分割の詭弁

著者があげている例を引用しましょう。

今年のドジャーズはすばらしいチームだった。だから安心して断言できる。このチームの選手はすべてすばらしい

「Informal Logical Fallacies」p1 

ファンならこう言いたくなる気持ちはわかりますが、この議論は虚偽です。ドジャーズというチームと、個々の選手を同一視している過ちをおかしているからです。

著者は「全体から部分への虚偽」と呼んでいます。全体が持つ特徴を、部分にまで押し広げる虚偽です。この議論が間違っていることがわかれば、次の議論が間違いであることもまた明白でしょう。

日本はすばらしい国である。つまり、すべての日本人もまたすばらしい。

もちろん、「日本人」の部分が外国人でもかまいません。中国人でも韓国人でもアメリカ人でも同じことです。

重要なのは、この形式の議論が虚偽だということです。

見せかけの深さ

よくわからないが何だか深いことを言っているように聞こえる場合があります。

断言しますが、この手の議論は虚偽として退けて差し支えありません。著者はこんな例をあげています。

現実は存在しない。我々は、集められた悪夢の岸辺に存在しているだけだ

同 p4 

何だか深いことを言っているように聞こえますが、実際は無内容、無意味な言説です。感心する前に、こんなことを言い出す人間が詐欺師でないかどうかをまず疑いましょう。

ちなみに著者はこの手の議論を多用している人物として哲学者のマルティン・ハイデッガーをあげています。たしかに、彼の議論はどうとでも取れるあいまいなものです。個々人で解釈が多様にわかれるなら、正確性は期すべくもありません。

省略の詭弁

これは、単純化の虚偽ともいえるでしょう。複雑なものを単純なものに変換してしまうことです。2つ例をあげます。

虚偽としての二分法

あなたは共和党支持者か民主党支持者か、どちらかである。そしてあなたは共和党支持者ではない。ならば、民主党支持者に違いない

同 p7 

最初の前提ですでに結論を限定してしまう、それがこの虚偽です。実際は、共和党でも民主党でもない第3の道があるのですが、そこはあえて捨象して決めつけてしまいます。

形式としては、前提→結論のシンプルな形ですが、この前提が二者択一の虚偽である点が特徴です。この手の議論は日常でも頻繁にお目にかかります。

還元の虚偽

これもよくある虚偽のひとつです。

政治というのは、権力闘争にすぎない

同 p11 

権力闘争が政治の要素のひとつであるのは事実ですが、それだけに限定してしまうのは明らかに虚偽です。

それ以外の要素を排除してしまうからです。

複雑な事象を単純化するのは、理解を助けるうえで有効ですが、この方法は、あくまでその効用だけを目的とすべきです。

複雑なものを思い切って単純化してしまうと、虚偽に陥る危険があるのを忘れてはいけません。

押しつけの詭弁

これは議論そのものに対する攻撃ではなく、むしろ人柄への攻撃などによって、その権威性の毀損を目的とするものです。

人格に対する議論

議論の是非を問題とするのではなく、発言者の人間性を問題にする詭弁といえます。

サール教授はとんだマヌケだ。彼の授業なんて取るもんじゃないよ

同 p15 

著者も書いているように、この手の議論は政治的なキャンペーンなどでよく用いられます。SNSでもよく見るパターンではないでしょうか。

しかし、言うまでもありませんが、これはただの人格攻撃です。建設的な議論とは程遠いものですから、関わるのは時間のムダといえます。

一般常識に訴える

著者があげている例がなかなか面白い。

すべての人間は平等につくられている。これは、すべての人がこの真実に同意している事実によって立証されている

同 p19

著者はこの例文を虚偽として紹介しています。

なぜ虚偽かと言えば、確固たる根拠を提示するのではなく、一般論に逃げているからです。なんとなく多くの人に受け入れられている言説に媚びているだけだからです。

「すべての人間は平等につくられている」ことを証明したいなら、その根拠を提示して結論を導くべきです。

しかし。。そんな根拠を提示することがほんとうに可能でしょうか?

前提に含まれる詭弁

この虚偽のパターンは、前提と結論の不一致にあります。議論の前提から、その結論を導くことができないタイプの詭弁です。いくつか例を見てみましょう。

「である」から「すべき」への詭弁

これは例文で確認した方がわかりやすいでしょう。

聖書にはXと書かれている。だからXを信じるべきなのだ

同 p27

前提で述べられているのは単なる事実です。つまり「である」です。そこから、「すべき」という結論がいきなり導かれるのはあきらかな虚偽です。

この議論の型は実際によく耳にするものですが、その意図するところは、どうにか相手を説き伏せたい、というところではないでしょうか。

事実の叙述である前提から、いきなり結論が規範になった場合、それは論理の飛躍であって真実ではないことに注意してください。

人間の本質に訴える詭弁

人間とはこういうものだ、だからこうすべきだ、というのがこの手の詭弁です。例をあげましょう。

人間は本質的に政治的動物である。したがって、すべての個人が政治のプロセスに参加すべきなのは明らかなことだ

同 p27

この議論における前提では、「人間の本質」が問題になっていますが、「政治的動物」とはどういうことかが明確になっていません。

アリストテレスの言葉ですので、人口に膾炙しているのをあてにしての議論です。

しかし、その内容についての理解は個人差があり、必ずしも一致したものではありません。そのあいまいな点をついて、結論では「すべき」論をもってきて、けむに巻くのです。

「人間が政治的動物である」事実から、「政治に参加すべき」という結論を導くのは乱暴なのです。一見もっともらしいように感じますが、虚偽は虚偽です。真実ではありません。

因果の詭弁

原因→結果という因果関係にまつわる詭弁です。この因果関係が成立しない詭弁がこれです。代表的なものを2つあげます。

正しくない原因の詭弁

2つ以上の出来事を根拠のない仮定で結びつけると、この詭弁になります。

その中華料理店は金曜の夜と土曜の夜に泥棒に入られた。同一犯による犯行に違いない

同 p33

たまたま続けて泥棒に入られただけで、これを同一犯の仕業とみなすのは無理があります。

根拠がないからです。

この言説が虚偽なのは、同一犯とみなす根拠が薄弱だからです。複数の出来事を結び付けるとき、よく犯す過ちといえます。

ギャンブラーの詭弁

これは言わずもがなという感じですが、説明しておきます。例をあげましょう。

3枚のくじを買ったところ、最初の2枚が当たっていた。間違いなく3枚目も当たっているよ

同 p36

皆さんも、これに似たセリフを実際に聞いたことがあると思います。

解説は不要でしょう。

この手の希望的観測や根拠のない確信が真実であるわけがありません。

まとめ

このほかにも、詭弁のさまざまなパターンが紹介されているのがこの本の特徴です。

この本を熟読すれば、詭弁の基本的な構造が身に付くため、だまされることを回避するヒントが見つかると思います。ぜひ、ご自分の目で確かめてみてください。

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