岩波文庫で読んでおきたいオススメ5選

書評

岩波文庫は本好きなら知らない人はいないでしょう。古今東西の古典から現代の名著まで、幅広いラインナップをそろえているのが岩波文庫です。

膨大な岩波文庫のなかから、読んでおくべき5冊をご紹介します。

もしあなたが高校生や大学生なら、ぜひ読んでおくべき5冊です。もしあなたが社会人なら、なおさら読んでおくべきです。もしあなたが定年を迎え引退した生活を楽しんでいるなら、ぜひもう一度目を通してみてください。

あらゆる年代の人々におくる名著です。さっそく見ていきましょう。

読書の目的とは

なぜ、読書をするのか?その理由は人それぞれでしょう。おそらく、以下のような理由からではないでしょうか。

・娯楽のため
・知識を得るため
・自分の世界を広げるため

読書そのものが楽しいという方もいるでしょう。本を読む行為そのものが好きなのです。楽しみとしての読書ですね。

一方、ボキャブラリーを増やしたり、自分の国語力をアップさせるために読書にいそしむ人もいるでしょう。語彙が貧弱な人は、思考も貧弱だと思われがちです。優れた文章に接して、自分の国語力を鍛えるための読書は大切なことです。

そして、読書の目的としてもっとも大切なのは、自分とはまったく違う思想・考え方をもつ人々に出会うことです。自分が生きてきた世界がすべてではないと思い知ること、それが読書の一番の効用ではないでしょうか。

今回ご紹介する5冊は、思考のもっとも基礎的な部分、つまりもっとも大切な部分を形成する古典です。

じつはこれらの本は、私が大学生のころ、ある教授に「これだけは読んでおけ」と指示(命令)された本なのです。これらを読んでないと世界はわからない、とも教授はつけ加えました。

ではさっそくご紹介していきましょう。

おすすめの5冊

ブッダのことば

「ブッダのことば」というのは、最古の、ブッダの肉声にもっとも近いとされる経典の翻訳です。

パーリ語という言語からの翻訳で、きわめて読みやすく仏教の入門書としても最適のものといえるでしょう。

ブッダの言葉を引用してみましょう。

生まれを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる。賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、恥を知って慎むならば、高貴の人となる。

「ブッダのことば」 中村 元 訳  p95

もうひとつ引用します。

水に中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

同上  p21

本書を読んで感じることは、漢訳経典よりもはるかに親しみやすいブッダの姿です。

口語訳ですから当然読みやすいですし。考えてみれば、仏教経典の口語訳って今までなかったのではないでしょうか。

経典といえば漢訳経典の音読み、というイメージを覆してくれたのが、この「ブッダのことば」です。ぜひ一度目を通してみてはいかがでしょう。

論語

「論語」といえば説教臭い、というイメージを持つ方もいるでしょう。とくに若いころはそう感じるものです。

ですが、論語をよく読んでみれば、説教しているところなどほとんど見当たらないのです。例えば、

子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。

先生がいわれた、「智の人は惑わず、仁の人は心配がなく、勇の人は恐れない。」

「論語」 金谷 治 訳注  p183

この発言も別に説教しているわけではありません。

知者、仁者、勇者についての孔子の感想にすぎません。

知者ってこんな感じだよなあ、仁者はこうだなあ、でも自分は知者でも仁者でもないなあ、そういう感想です。

他人に押し付けるための議論とは思えません。もう一つ引用しましょう。

君子和而不同、小人同而不和。

先生がいわれた、「君子は人と調和するが雷同はしない。小人は雷同するが調和はしない。」

同上 p265

これもおもしろい言葉です。自分を省みれば、雷同ばかりで調和に関してはどうか、と苦笑せざるを得ない言葉です。

ですが、説教という感じはまったくしないと思いませんか?

そもそも説教とは、カンタンにいえばマウントをとることでしょう。正しいとされる位置から他人を見下したいだけの卑しい行為です。

こういったマウントの取り合いにまったく無関心だったのが孔子といえます。

ただ、孔子自身はその気がなくても、孔子を取り巻く周りの人間はまた別です。「論語」を読めば、その辺の事情も垣間見えたりして非常に面白いのです。

ちなみに本書は原文、読み下し文、現代語訳の構成のため、これ一冊あれば論語は大丈夫、という感じです。

もちろん興味がある方は他にもさまざまなバージョンの「論語」が出版されていますので、ぜひ参照してみてください。

世界のリーダーが愛読する経済紙・ウォールストリート・ジャーナル

古事記

仏教(インド)、論語(中国)、そして古事記。この3つが日本の基本的な構成元素といっていいでしょう。

古事記は8世紀初頭に成立した古典で、内容は神々のお話です。

日本の神話が古事記なのです。天之御中主神から始まり、数えきれないほどの神々が登場します。まさに八百万の神々です。

伊邪那岐命・伊邪那美命の国生み、天岩戸のエピソード、須佐之男命の八岐大蛇退治、天孫降臨など、有名な神話の種本です。

上・中・下という3部構成で、上つ巻は神々のお話、中つ巻は神武天皇の東征から始まり、神話から歴史への移行期というところでしょうか。下つ巻は仁徳天皇から推古天皇までです。ヤマトタケルの活躍は中つ巻の景行天皇のくだりにあります。

どこまでが事実でどこまでが神話か、という観点も大事ですが、それよりも、お話として楽しんだほうが健康的です。

実際、日本の神々のかわいらしいこと、他国の神話とはちょっと違います。

個人的には大国主神がおかしくていい。ちょっと頼りないけど優しいあんちゃんという感じです。八十神に目をつけられて何度か(?)殺されてしまいますが、そのたびに誰かに復活させてもらうところもおかしい。

周りはハラハラしてても、本人はいたってのんきな図がイメージされて非常におかしいのです。日本人が求めるリーダーのひとつの型でしょうか。

とにかく、一度読んでみるのをオススメします。本書は訓み下し文と巻末に原文が掲載されていますが、現代語訳はありません。

最初は難しく感じるかもしれませんが、読み進めていけば訓み下し文に慣れてきてそれほど気にならなくなると思います。ぜひトライしてみてください。

新約聖書 福音書

アジアから目を西洋に転じてみましょう。

西洋文化の基礎であるキリスト教に注目してみるのです。

この岩波文庫の「新約聖書 福音書」は塚本虎二の個人訳です。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネというイエス・キリストの言行録をまとめた4福音書がおさめられています。

しかも、通常の新約聖書ではマタイが最初に置かれるのが通例ですが、本書はマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの順番で配列されています。凡例では、「成立の歴史的順序によった」とあります。

ただ、マルコはシンプルに事実を叙述するスタイルなので、初心者はマルコから読み始めるのがいいでしょう。イエスの生涯を知るには簡潔なマルコがベターです。

本書の雰囲気を知ってもらうために、有名な文句をいくつか引用してみましょう。

安息日は人のためで、人が安息日のためにあるのではない。

「新約聖書 福音書」 塚本虎二 訳  p13

求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。

同上  p86

聖書の口語訳は難しいものだと思います。文語訳がすぐれた翻訳だったせいもありますが、威厳という点では文語訳に指を屈せざるをえません。

しかし、文語訳もところどころ意味不明瞭な点もありますから、文語訳だけでは心もとない感じもします。

ちなみに岩波文庫には文語訳 新訳聖書もありますから、気になった方は検討してみてはいかがでしょう。

コーラン

コーランといえば井筒俊彦、井筒俊彦といえばコーラン、そんなイメージです。コーランの翻訳はほかにもいくつかありますが、もっとも手軽に入手できるコーランといえば、この岩波文庫版といっていいでしょう。

翻訳者の井筒俊彦は30か国語以上の言語を理解できたという言語の天才です。英語フランス語ドイツ語は簡単すぎておもしろくない、ロシア語は少し難しくておもしろい、アラビア語は難しくておもしろい、と語ったと伝えられています。

イスラムを理解するためには、まずはコーラン(クルアーン)を読まなければなりません。そのためのツールとして、岩波文庫版はもっとも身近なものです。

ただし、必ずしも読みやすいものではありません。文章はリズムがあって音読しやすいのですが、問題は内容です。

上巻は開扉のあと牝牛章が続くのですが、物語性がないため、読み進めるのはなかなか骨が折れます。

さらにもう一つ問題があります。

解説で井筒俊彦が書いていますが、キリスト教の基本的知識がないとコーランの内容を理解するのは困難なのです。

そのための補助として、井筒は本文中にカッコで注釈をかなり挿入していますが、それでも内容を理解するのに苦労するのではないでしょうか。

ただ、翻訳としての本書はすばらしい作品だと思います。文章も読みやすい。トライしてみる価値はあると思います。

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