私の思い出の作家たち おすすめの小説とともに

書評

年を取ると小説を読む時間も無くなってきます。仕事や家庭のさまざまな雑事に追われ、ゆっくり小説を楽しむ余裕を持てなくなるからです。

腰を落ち着けて小説を読むなら若いうちに限ります。とくにドストエフスキーやトルストイなどの大作は若いときでなければなかなか読み通せるものではありません。

小説を読んだところで何が得られるわけでもありませんが、文学の効用は即効の実用性とは無縁なところに存在します。

いい文学は、なぜか充実した時間を読者に提供してくれるものです。

今回は、思い出の作家たちについてご紹介していきます。私が青春時代によく読んだ作家たちです。さっそくご紹介していきましょう。

二葉亭四迷

口語文で小説を書いたパイオニアが二葉亭四迷です。正確には二葉亭より山田美妙の方が早いそうですが、後世への影響力や口語文の完成度などを比べると二葉亭こそが口語文の先達といっていいのではないでしょうか。

二葉亭が切り開いた道をならして日本人が利用しやすいように完成したのが夏目漱石だといっていいでしょう。

二葉亭の小説はたった3作しかありません。

「浮雲」、「其面影」、「平凡」この3つです。

しかもデビュー作の「浮雲」は未完のまま終わってしまいました。私が若いころに読んで面白かったのは「平凡」ぐらいなもので、小説家としての二葉亭にはあまり思い入れはありませんが、彼が素晴らしいのはロシア文学の翻訳です。

とくにツルゲーネフの「あひびき」や「うき草」(「ルージン」の翻訳)などは忘れがたい強い印象があります。

まともな辞書もなく、しかも口語文で翻訳した先例もない状態でよくあれほどの完成度の高い作品をうみだせたものだと感心します。やはり二葉亭は天才の名にふさわしい作家です。

ただ、残念なのは二葉亭自身が自らの文学的才能に高い価値を置いていなかったことです。彼にとって文学は一生をかけて打ち込むほどの価値がある営為とは思えなかったのです。

そのため、二葉亭は文学者よりも爆弾を投げつけるテロリストのほうが意味がある、という内容の発言をしています。二葉亭に足りなかったのは、自らの才能に対する自信、つまり健全なうぬぼれなのです。

二葉亭の作品を読み返してはいませんが、たぶんいま読んでも彼の翻訳作品は私を楽しませてくれるはずです。二葉亭四迷があまり読まれないのが少し残念です。

平凡 私は懐疑派だ (講談社文芸文庫)
明治文学の黎明を告げる名作「浮雲」を執筆しながらも人生への懐疑より一時筆を断ち、晩年はロシヤに渡って、病に倒れ、帰途ベンガル湾洋上にて、45歳で客死。終生、、人間いかに生くべきかを自問し、明治の激動期を生き急いだ先覚者四迷の小説、翻訳、評論を1冊に集成。自伝体小説「平凡」、翻訳「あいびき」、「狂人日記」他、評論「私は懐...

太宰治

怒られるのを承知で言えば、近代日本文学で後世まで残るのは夏目漱石、太宰治、村上春樹氏、この3人ではないかと思うときがあります。

私たち日本人の言語感覚に多大な影響を与えたのが彼らだと考えるからです。いわば、私たちは無意識のうちに漱石や太宰、村上などのような文章を書いているのではないか、彼らの様に考えているのではないか、そう感じるときがあります。

とくに太宰治はそうです。意外に影響を受けている人が多いのではないでしょうか。

そしてその影響は太宰ファンよりもむしろアンチ太宰のほうに大きいのではないか、と考えたりします。

太宰といえば「走れメロス」や「人間失格」ですが、私個人としては「走れメロス」はいいとしても「人間失格」はあまり好きではありません。

太宰の文学は便宜的に「晩年」などの初期、「津軽」や「惜別」などの中期、そして戦後の後期と分けられたりしますが、私は中期の作品群を強く推します。

後期の作品も優れたものが多いのですが、やはり太宰の心身ともに安定した中期には傑作が多いのです。

「津軽」や「惜別」、「お伽草紙」「新釈諸国噺」「新ハムレット」、「右大臣実朝」などもこの時期に属します。

太宰の中期というのは大東亜戦争と重なる時期ですが、戦争中に安定した作品群を生み出した事実に驚きます。

この時期の作品で私が好きな短編があります。1940年の「女の決闘」です。内容は森鴎外が訳した同名の作品に関する太宰のコメントという形式の小説です。ささやかな作品ですが、太宰らしさがよく表れている優れた短編だと思います。機会があればぜひ読んでみてください。

太宰治全集 1 (ちくま文庫 た 12-1)
晩年,ダス・ゲマイネ,虚構の春 他

中島敦

中島敦も教科書に載っている「山月記」で有名です。中島の特徴は、「山月記」でも顕著ですが、その漢文学に関する深い教養です。

彼のほかの作品「李陵」にしても、「弟子」「盈虚」「名人伝」などを一読してもわかるように、彼の漢文学の素養は一朝一夕に成ったものではありません。

音読してみればわかりますが、彼の文章はきわめてリズミカルな、音読することそのもが楽しくなるような優れたものです。

こういった文章は漢語の多用によって可能になりますが、この漢語のチョイスがむずかしいのです。ただ難しい漢語を並べればいいというわけにはいきません。

現在の日本語の文章からは消え去ってしまった漢文脈の正統後継者が中島敦なのです。

また、中島がすばらしいのは漢語を用いた文章だけではありません。「文字禍」や「悟浄出世」、「狼疾記」などにみられる哲学的テーマを中心にした作品群もまた魅力的なものです。

さらに、中島はパラオに南洋庁の役人として赴任した経験から、イギリスの作家であるスティーヴンソンを主人公とした「光と風と夢」のような南国を舞台にした作品もあります。

もし中島が長生きしたらどんな作品を残したろうかと感じさせる作品です。ぜひ一度手に取って頂きたいと思います。

中島敦全集 全3巻セット (ちくま文庫)
中島敦全集 全3巻セット (ちくま文庫)

遠藤周作

遠藤周作が亡くなったのは私が学生時代のときでした。現役の作家で唯一愛読していたのが遠藤でしたので、非常に印象的でした。

遠藤周作といえば何といっても「沈黙」でしょう。

グレアム・グリーンが絶賛し、マーティン・スコセッシが映画化した本作は日本文学の傑作というだけでなく、世界文学のなかに席を占めるものでしょう。スコセッシなどは信仰が揺らいだ時に友人の神父に本作を勧められたといいます。

意外なところでは、安倍晋三元総理も「沈黙」に感動したひとりだということです。

遠藤周作には他にも「侍」などの歴史小説も多く、それなりに読み応えがありますが、正直なところ同工異曲という印象が否めません。

「海と毒薬」というアメリカ人捕虜に対する人体実験を取り上げた作品なども、キリスト教が根付かなかった日本人には「罪」の意識が希薄だ、というテーマはあまりに図式的で事件の表面的な理解にとどまっていると思います。

遺作である「深い河」もかつてのテーマの焼き直しという印象が拭えません。いま読み直してみると感想は変わるかもしれませんが、遠藤周作の代表作は「沈黙」にとどめを刺す、とあえて断言いたします。

遠藤周作文学全集 (第2巻)
留学,沈黙

レイモンド・カーヴァー

カーヴァーを知ったのは村上春樹氏の翻訳を通してだったと思います。いくつかの短編を読んでみたものの、大した感想はもちませんでした。印象が薄くて、何の話だったかもよく覚えていません。つまらないな、というのが正直な感想でした。

その後しばらくカーヴァーの名前は忘れていたのですが、あるとき英語の勉強もかねてカーヴァーの原文を読む機会がありました。たしか「Feathers」だったと思いますが、英語で読むカーヴァーはまったくイメージが違いました。こんなに面白いのかと驚愕した記憶があります。

村上氏の翻訳には何かが決定的に欠けています。アメリカ人の体臭のようなものがごっそり抜け落ちてしまっているのです。そんな印象をもちました。

その後、カーヴァーの作品を原書であらかた読みましたが、なかでも私がもっとも気に入っている作品が「Where I'm calling from」です。カーヴァーはアルコール中毒を患った経験があり、この小説は更生施設での経験をもとにしたものでしょう。舞台も更生施設で登場人物たちも依存症患者です。

しかし、この小説がちっとも悲惨でも暗いものでもない印象を読者に残すのは、語り手であるカーヴァー自身の心の持ちようが前向きなものだったからでしょう。

いわば、主人公は回復途上の状態であり、どん底から脱却しつつあるその瞬間を切り取ったのが本作だからです。

カーヴァーのほかの作品には人生の破局前のギリギリの瞬間を切り取った作品が多く、何気ない日常をすごす登場人物たちがふとした瞬間に転落へと向かう転換点を描くのがカーヴァーは非常にうまいのです。

しかし、この「Where I’m calling from」は回復への転換点を描いている点で読んでいて心温まる素敵な作品になっています。カーヴァーの小説家としての見事さが遺憾なく発揮されているといっていいでしょう。

村上氏などは「Cathedral」を激賞していましたが、確かに面白いものの、それは手品のような面白さであって、作者の声が聞こえるような代物には感じませんでした。

いずれにせよ、カーヴァーがアメリカを代表する作家のひとりである点では議論の余地はありません。ぜひ多くの人にカーヴァーを原文で読んで欲しいと思います。それほど難しい英語ではありません。ぜひトライしてみてください。

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