中国共産党とは? 「日本人のための中国共産党100年史」を読む

中国史

中国の存在感は日ごとに増す一方です。

香港での民主化運動を後目に、ついに「香港版国家安全法」が全人代で可決され、一国二制度が有名無実のものとなりました。

しかも世界中が新型コロナウィルス対策に追われるさなかに一気に仕掛けてきた感があります。特に新型コロナの被害に苦しむアメリカが中国との対立姿勢を深めつつある現在、今後どのような経過をたどるのかは誰もわかりませんが、中国、いや中国共産党について知識を深めておくのは決してムダではないはずです。

そのための手ごろな書籍として、内藤博文著「日本人のための中国共産党100年史」をオススメしたいと思います。

あらためて注目を集める中国

香港の民主化をもとめる運動とそれに対する弾圧は、あらためて国際社会に中国の異質性を強く印象付けることになりました。

多くの人がこのような体制の国家と付き合っていけるのか、あらためて不安をおぼえたことでしょう。

私たちはどうやってこのような国家と付き合えばいいのか、どう向き合っていくべきか。このような疑問が湧き上がってくるのを如何ともしがたいのです。

民主化の波が大陸に波及するのを恐れる中国の支配者・中国共産党とは、そもそもいかなる来歴をもっているのか。その歴史を振り返ることで、中国共産党の姿がはっきりしてきます。

結論からいえば、彼らは何も変わっていません。変わるだろうという希望的観測によって中共を見た私たち自身が間違っていただけなのです。内藤氏のこの著作は、そのことを確認させてくれます。本書の特徴を以下の3つにしぼって解説していきます。

・結党から現代まで、中共の歴史を一望できる
・中国共産党のキモ・毛沢東
・わかりやすさ

中国共産党の結党から現代まで

中国共産党の結党は1920年にさかのぼります。

つまり、100の歴史があるのです。

当初は、都市部のインテリを中心とした秘密結社でした。代表が陳独秀であったことからも、初期の党員がインテリ層であったことがうかがえます。

資金を提供したのは、ソ連のコミンテルンです。正式な結党は1921年上海においてで、その創立メンバーのなかには毛沢東がいました。

ただ、このころの毛沢東は主流派ではありませんでした。いやむしろ、毛沢東は常に傍流だったのです。親分であるコミンテルンが毛沢東を信用しなかったからです。

毛沢東が中国共産党内で地歩を固めていったのは、ひとえに中国大陸の混乱があったがためです。

端的にいえば、日本の侵略で混乱した状況をたくみに利用して、毛沢東はのし上がっていきました。中国共産党の歴史を時系列でみると次のようにまとめられます。

1921年 結党
1924年 第一次国共合作(国民党との共闘)
1927年 上海クーデター(国民党による共産党の弾圧)
1931年 江西ソヴィエト区樹立
1933年 江西ソヴィエト区を捨て、長征開始(1936年終了)
1936年 西安事件(第二次国共合作)
1945年 第二次世界大戦終結
1946年 国民党と共産党の内戦ぼっ発
1949年 共産党が内戦に勝利し、中華人民共和国樹立
(本書より作成)

注意すべきは、日本との戦争中、共産党は日本軍との衝突をできるだけ避け、戦力を温存していたことです。

実際に戦闘していたのは国民党なのです。

ではその間共産党は何をしていたか。

根拠地の延安で内ゲバをやっていたのです。毛沢東が反対勢力の一掃に血道を上げていたのです。

このとき毛沢東の手足となって活躍したのが、秘密警察をあやつる康生と、理論武装に貢献した劉少奇です。

康生は中華人民共和国建国後も毛沢東に忠実に仕えてその生涯を全うしましたが、一方の劉少奇は対照的に悲劇的な最期をむかえることとなりました。

中国共産党と毛沢東

建国後も毛沢東は政敵の排除に余念がありませんでした。

旧満州に地盤をもっていた高崗を葬ったことは、その代表的な例です。

また、百花斉放運動を主導し、言論の自由を看板にして共産党政権に批判的な勢力をあぶり出し、しらみつぶしに粛清しました。

権力の集中と反対勢力の排除は、中国共産党の宿痾なのです。毛沢東がそのシステムの先駆者であるといえます。

その毛沢東が失脚の憂き目にあったのが、大躍進政策の大失敗です。

何千万もの餓死者をだした原因は、あきらかに共産党の政策ミスによるものでした。

劉少奇や鄧小平による路線変更が図られますが、ここで毛沢東の政権奪還運動が開始されます。

それが文化大革命なのです。若者を扇動して巨大な大衆運動にまで育てあげ、指導者である劉少奇と鄧小平を失脚に追い込んだのです。

鄧小平は失脚したものの、軍部の保護もあり命まではとられませんでした。

一方の劉少奇は悲惨でした。食事も満足に与えられず、病気の治療もされず、1969年衰弱死においこまれたのです。

ひたすら混乱のみをもたらした毛沢東が1976年に死去すると、鄧小平が再び復活します。

その後、鄧小平の路線にしたがって中国は発展を続け、第二次天安門事件(1989年)で国際的に孤立しますが、日本を利用することで再び国際社会に復帰します。

その後の高度経済成長はご存じの通りです。江沢民、胡錦涛、そして現在の習近平と指導者は変わり、中国は世界第二位の経済大国にまで成長しました。

周辺諸国とのトラブルが頻発するにつれ、いよいよその本性があらわになってきた感がありますが、それでも中国に幻想を抱く人間が後を絶たないのは不思議といえば不思議です。

ただ、本書を読んで感じるのは、現代中国、とくに中国共産党の歴史は、内部での権力争いの歴史でもあることです。一枚岩などありえません。現在でも、習近平体制は決して盤石ではないのです。熾烈な権力闘争が繰り広げられているとみて間違いありません。

中国は伝統的に外国と対等に付き合うという意識が薄いといえます。外国との関係もすべて国内に対するアピールの要素を多分にもつのです。自己の実績アピールの一環です。

中国という国を冷静にとらえるためには、さまざまな情報や知識に触れる必要があります。

なかでも重要なのは歴史でしょう。小室直樹もかつて書いていたように、中国史こそは中国人を知るための重要な参考書です。本書は中国現代史を理解するための簡潔にして手軽な名著なのです。

本書のわかりやすさ

専門家は、細部にこだわるあまり全体を忘れた結果、叙述が退屈なものになりがちです。

内藤氏は経験豊かなライターとして、簡潔ながら重要な部分はもれなくすくい上げて一冊の本にまとめています。膨大な事実を取捨選択し、ひとつの物語にまとめるには思い切った単純化が必要です。

もちろん、いい加減に書いているのではまったくありません。膨大な事実と付き合うのは大前提です。そのうえで、素人にもわかるように事実を再構成するのは相当の力量がなくてはできません。本書は成功している少ない例の一つといえます。

まとめ

中国について興味があろうがなかろうが、もはや中国を意識せずに生きていくことは不可能です。

中国は目の前の具体的な脅威であり、日本にとって今そこにある危機なのです。自体がどのように推移していくか、それは誰もわかりません。重要なのは、私たちが中国とどう付き合っていきたいか、あるいは、どう付き合っていくべきか、はっきりさせたいということです。

中国を理解することは、中国共産党について理解を深めることでもあります。そのための一助として、本書はすぐれた入門書です。ぜひ手に取って一読してみることをオススメします。

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