労働と学びとの融合 エリック・ホッファーの自伝を読む

書評

エリック・ホッファーをご存じでしょうか。

アメリカの有名なエッセイストであり哲学者であり、そして一人の労働者だった人物です。学歴もコネも資産もない、持っているのは自らの頭脳と肉体だけ、独立独歩の自由人です。

今回はエリック・ホッファーの自伝「エリック・ホッファー自伝 構想された真実」をご紹介します。自分の足でしっかりと立ち、確かな足どりで歩むホッファーの言葉は、読者に静かな感動と勇気を与えてくれます。

「勇気」、この言葉ほどホッファーにふさわしい言葉はありません。ホッファーは「勇気」という言葉に新しい命を吹き込んでくれる、そんな印象ももちます。

まずはエリック・ホッファーとはどんな人物なのか、簡単に見ていきましょう。

エリック・ホッファーとは

エリック・ホッファー(1902~1983)はアメリカの有名な哲学者です。有名大学を優秀な成績で卒業し、といったありがちな経歴の人ではありません。

ホッファーは高等教育を受けていません。

季節労働者として各地を放浪し生活の糧を得ながら、独学で思索を深めていったひとです。40歳前後にサンフランシスコに定住してからは、沖仲仕として65歳まで働き、仕事のかたわら、何冊かの本を発表して有名になりました。

肉体労働者にして哲学者、それがエリック・ホッファーです。私たちがホッファーの人生から学べることは、どのような環境にあっても学問はできるということでしょう。

現代では、好奇心のおもむくままに、書籍やインターネットを通してさまざまな知識を身につけることができます。

学びに必要なのは世界に対する子供のような好奇心だけです。ホッファーの存在は、学ぶことをあきらめない人々への心強いエールとなっています。

早くに母親を亡くし、さらに視力を失う

ホッファーは7歳のときに母親を亡くしています。しかも、その同じ年に彼は視力をも失うのです。人生のスタートとして厳しい船出といわなければなりません。

しかし、その視力も不思議なことにホッファーが15歳のときに突然回復します。7歳から15歳まで失明していたわけですが、そのことが原因でホッファーはまともな教育を受けられなかったのです。

ただ、ホッファーは早熟な子供だったようで、5歳ぐらいのころにはすでに本を読むことができたようです。ホッファーの父は家具職人でしたが、読書家で自宅にさまざまな本があったことをホッファーが記憶しているからです。

その父親もホッファーが18歳のときには他界してしまいます。18歳にしてホッファーは天涯孤独となり、社会に強制的に投げ出されてしまうのです。そうして彼の労働者としての人生が始まりました。

季節労働者としての日々

ホッファーは職業紹介所で職を探し、さまざまな職業を経験していきます。芝刈りやオレンジ売り、倉庫番など、職を転々とします。

そんなホッファーにとっての唯一の娯楽が読書でした。

ドストエフスキーなどの文学はもちろん、数学や化学、物理学などにも強い関心を示しています。関心の対象を見てみると、ホッファーは本質的には理系の人物のように感じます。

しかし、労働者としての生活と余暇を学問に費やす二重生活は、知らず知らずのうちにホッファーの精神をむしばんでいました。ホッファーは自殺の誘惑に捉えられ、毒物による自殺を試みます。幸いにホッファーは死にませんでした。ただ、ホッファーのなかで何かが死んだことは確かです。

彼は次のように表現しています。

私は自殺しなかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである。

「エリック・ホッファー自伝 構想された真実」p47

都市労働者としての生活が終わり、季節労働者としての放浪の日々が始まったのです。

モンテーニュの「エセー」との出会い

放浪の日々を送るホッファーはあるとき、決定的な出会いを経験します。それは、モンテーニュを発見したことです。34歳のときに「エセー」を読み、ホッファーは強い感動をおぼえるのです。彼は書いています。

モンテーニュは私の考えの根底にあるものを熟知している。彼の言葉は的確で、ほとんど箴言調である。このとき、私はすばらしい文章の魅力というものを知ったのだ。

同上 p91

運命的な出会いというものがあるものです。ホッファーにとってはモンテーニュがそうでした。

自伝のなかでとくに1章を設けて「エセー」の思い出をつづっているのがその証拠です。

ホッファーのような経験は多かれ少なかれ、誰しも持っているものではないでしょうか。その出会いこそ、その人にとっての宿命の主調低音に触れたときなのです。

波止場の哲学者

40歳になったホッファーは季節労働者としての生活に終止符を打ち、サンフランシスコにて港湾労働者として働き始めます。

放浪の旅は終わり、安住の地を得たのです。

ひとりの季節労働者が姿を消し、ひとりの沖仲士が誕生しました。

それはひとりの哲学者の誕生でもありました。49歳になったホッファーは一冊の本を出版します。The True Bliever「大衆運動」という本です。この作品の成功によってホッファーは世界で知られるようになっていきます。

自伝に見るホッファーの名言

ホッファーはアフォリズム集も出版しているように、箴言の名手でもあります。この自伝もホッファーの名言がいたるところにちりばめられています。そのなかから、ほんの一部だけご紹介していきます。

「希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。」

「勇気」、これがホッファーを象徴する言葉だといって差し支えないでしょう。

希望よりも勇気、なのです。希望は未来に属するものですが、勇気は現実との格闘に役立つものだからです。ホッファーは未来を拒否しているのではなく、いまとしっかり向き合う大切さを自身の人生で学んだ人なのです。

私たちに必要なのは「希望」ではありません。闘う「勇気」なのです。

「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ」

この言葉はニーチェやD・H・ロレンスに対する批判として書かれたものです。弱者に腐敗や退廃しか見なかったニーチェやロレンスは大切な点を見落としているというのです。

価値判断はひとまず置くとして、人間の運命に独特の色どりを与えているのは強者ではなく弱者なのだ、そうホッファーはいいます。

退廃どころか、創造を生み出すエネルギー源となっているのは弱者の群れなのだ、それがホッファーの確信でした。

社会の下層をつぶさに見てきたホッファーならではの感想というべきでしょう。

ニーチェやロレンスは所詮、人間を一面的にしか見ていない、このホッファーの確信が正しいか否か、それは読者自身が決めるべきことでしょう。

「貨幣が支配的役割を果たさなくなったとき、自動的な進歩は終わりを告げる」

貨幣と進歩が密接な関係を持つ、という指摘は新鮮です。

ホッファーによれば、貨幣を発明したのは弱者であり、権力者は貨幣を嫌悪していたといいます。

貨幣がない世界では、人々を支配するのは力や高邁な理想であり、貨幣の登場によって人々は自由になったというのです。

ホッファーは、給料を二週間ほどで散財する経験談のあとでこの貨幣の考察を加えていますが、ここにもホッファーの特徴がよく表れています。それは、ホッファーの議論は常に経験に裏打ちされているということです。

理論と実践、この二つの幸福な融合こそ、ホッファーの強みといえます。

「他人を許そうとするからこそ、自分を許すことができるのかもしれない」

本書の最後に書かれている文章がこれです。あえて解説はしないことにします。それぞれがホッファーの言葉を通して自分と向き合うきっかけとすればいいのではないでしょうか。

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