名著に触れる 岡田英弘の「歴史とはなにか」を読む

書評

「歴史とはなにか」、刺激的なタイトルである。私たちの思い込みを打ち砕く力を持っている本である。

私たちは歴史について悩んだことはない。歴史は歴史だ、過去の事実の集積だ、そんなイメージを持つ。

しかし、一度立ち止まって考えてみれば、歴史を成り立たせているのは過去の事実だけではないことに気づく。

歴史は哲学的な営みなのである。

本書はそのことを教えてくれる名著なのだ。今回は、その内容をほんの少しだけご紹介していきたい。

「歴史」をもつのは人類の少数派である

実は、「歴史」という観念は全人類に共通のものではない。それはごく一部の文明だけがもつ特殊な観念なのだ。

私たち日本人は「歴史」をもつ文明に属する。朝鮮半島もそうである。中国もそうである。

というよりも、私たちの日本文明が中国文明の「対抗文明」であるからこそ、日本には「歴史」という観念が根付いたのだ、と岡田氏は言う。

中国文明は世界でもっとも早く「歴史」という観念を持った文明である。

むしろ、「歴史」を発明した文明である。

岡田氏によれば、中国地中海文明だけが「歴史」を生み出した。

他の文明はその発明品を拝借しているだけだ。では、「歴史」とは何を契機として成立するのか。

岡田氏によれば、次の4つがなければ「歴史」は成立しない。すなわち、

・直進する時間の観念
・時間を管理する技術
・文字
・因果律の観念

この4つだ。この4つがそろわなければ、「歴史」は成立しない。

「歴史」という観念を持たない偉大な文明のひとつであるインドとの比較を通して、それぞれの内容を見ていこう。

インド 「歴史」を持たない文明

まずは「直進する時間の観念」だ。「時間」というものが過去から現在、そして未来へと直進する性質を有する、そういう観念がないところに「歴史」は成立しない。

時間が直進的なのは当たり前じゃないか、というなかれ。

直進的な時間観念を持たない代表的文明として、岡田氏はインドをあげている。

インドは「歴史」を持たない文明として有名である。

あれほど精緻な仏教哲学を生み出し、全アジア人の精神を完全に支配したインド人は「歴史」という観念を発明できなかったのである。

インド人の時間観念は直線的ではなく、円環的である。インドは輪廻転生の世界だからだ。

過去の出来事などに価値を置かないのである。

インドにも「時間を管理する技術」はあった。地球の自転と月の公転、太陽をめぐる地球の公転、こういった天体の軌道の知識はあった。

「文字」もあった。いわゆる梵字である。

だが、「因果律の観念」はどうか。

「因果律」という観念もまた、人類普遍のものではない。

岡田氏によれば、この観念を持つ文明のほうが少数なのである。

2つの事象を「原因」と「結果」という関係で結びつける思想は、必ずしも普遍的ではないのだ。

インドは「輪廻転生」の国である。

前世の「業(カルマ)」が今生の苦しみの原因となり、今生の「業」が来世に影響を及ぼす。

この世界観のなかでは、現在の事象の因果を探る行為そのものが無意味となる。どの前世の「業」が影響しているか特定できないからである。

インドに「歴史」が生まれなかったのも必然といえよう。

そのインドに「歴史」を持ち込んだのは岡田氏によればイスラム文明であるという。

イスラム文明もまた特殊な時間観念と因果の観念をもっているが、イスラム文明は地中海文明の「対抗文明」であるため、「歴史」という観念を学ばざるを得なかったという。

しかし、所詮は借り物であるため、地中海文明の後継者であるヨーロッパ文明の後塵を拝している。

ここで、「歴史」の重要な効用が露わになる。

それは、「歴史」は自己正当化の武器になりうるということである。次はその点を見ていこう。

「歴史」は戦いの道具である

われわれ日本人にとって「歴史」が戦いの道具であるいう事実は理解しやすい。

戦後、日本人は「歴史」の反省を強いられてきた。この場合の反省というのは我が身を省みる道徳的な意味ではない。

ずっと謝罪をして頭をさげたままでいろ、という押さえつけである。もちろん押さえつけているのは中国だ。

中国は地中海文明と並ぶ「歴史」の発明者であるから、「歴史」の使い方も堂に入っている。

自己の正当化と他者に対するマウント、これである。

日本が中国に「歴史」問題で手を焼いているのと同様、イスラム文明もまたヨーロッパ文明に「歴史」の点で風下に立っている。

「歴史」の卸元である文明を相手にする辛さである。この関係はしばらくは覆しようがない。

相手の方が1枚も2枚も上手だからである。日本人もイスラム文明も、「歴史」をより深く学んで自家薬籠中のものとするしかないのである。

歴史の創作者 司馬遷とヘロドトス

岡田氏によれば、「歴史」を創作したのは中国においては司馬遷、地中海文明においてはヘロドトスだという。

ここでは日本人に馴染み深い司馬遷について見ていこう。

司馬遷の偉大な仕事は、「正統」の観念を発明したことであるという。

中国文明の根本は「正統」という観念だというのである。

「正統」の歴史観では、どの時代の「天下」(いまで言う中国)にも、天命を受けた「天子」(皇帝)がかならず一人いて、その天子だけが天下を統治する権利を持っている。その「正統」は、五帝の時代には「禅譲」によって、賢い天子から賢い天子へと譲られて伝わった。

岡田英弘「歴史とはなにか」p35

注意深い読者なら即座に察するであろう。「天子」が「中国共産党」に変わっただけで、中国の本質は司馬遷によって規定されてから変化していないのである。

中国はその意味でも「歴史」の国である。

「歴史」という太古から連綿と続くイデオロギーによって成立している国なのである。

まとめ

以上、岡田英弘氏の「歴史とはなにか」の第一部を乱暴に要約したが、いままでの「歴史」に対するイメージが覆されるに十分であろう。

「歴史」は人類普遍のものではなく、特殊な文明が生み出した特殊な観念なのである。

興味を持った方は、ぜひ本書を繙かれて岡田氏の文章をじっくりと読んでいただきたい。

驚きと知的好奇心を満たしてくれる稀有な名著である。

そして、さらに岡田氏の他の著作にも進んでいただきたい。読書の喜びを存分に味わえる数少ない学者だからである。

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