日本政治思想の原流 中江兆民「三酔人経綸問答」を読む

書評

今回ご紹介するのは、中江兆民「三酔人経綸問答」です。

1887年(明治20年)に発表された作品ですが、現代でもその価値はいささかも失われていません。政治思想に関心がある人だけでなく、明治という時代に興味を持つ方や、現代の国際政治を理解したいと考える人にもおすすめしたい名著です。

具体的な内容に入っていく前に、著者の中江兆民について復習しておきましょう。

なお、本書の引用は、中江兆民著 桑原武夫・島田虔次訳・校注「三酔人経綸問答」岩波文庫 に依ったことをお断りしておきます。

中江兆民とは

中江兆民(1847~1901)は明治に活躍した思想家で、日本のルソーとも呼ばれ、翻訳やジャーナリズムなどで華々しく活躍した人物です。

本名は篤介(とくすけ)といい、土佐藩(高知県)の出身です。幕末の動乱においてはほとんど活躍らしい活躍はしなかったようですが、同じ土佐藩出身の坂本龍馬とも交流があったようで、龍馬についての貴重な証言も残しています。

明治政府に出仕してからフランス留学を経て東京外国語学校長に任命されます。しかし、官吏勤めは性に合わなかったようで、すぐ校長を辞任し、以後政府には出仕せず民間の一言論人として生涯を終えています。

本場フランスで鍛えたフランス語と漢文に対する深い造詣で、明治の言論界にあっても兆民は異彩を放つ存在です。

「三酔人経綸問答」はその兆民の代表作であるのみならず、日本思想史に燦然と輝く名著なのです。さっそく内容の紹介に進んでいきましょう。

「三酔人経綸問答」の予備知識

まず本書のスタイルについてご紹介します。本書は対話篇であり、3人の登場人物が議論を交えていくことで話が進んでいきます。3人とは以下の人物です。

・南海先生
・洋学紳士
・豪傑の客

南海先生は中江兆民を思わせる隠者です。政治を論ずることと酒を飲むことが何よりも好き、というキャラクターです。本書においては聞き役であり、自己主張する場面は多くありません。

洋学紳士は「着もの、はきもの、上から下までみな洋風で、鼻すじ通り、目もとすずしく、身体はすんなり、動作はきびきびとして、言語明晰」という人物です。この作品においては西洋思想と理性を代表する人物といえるでしょう。

豪傑の客は「背が高く腕がふとく、あさぐろい顔、くぼんだ目、カスリの羽織、きりりとした袴、見ただけでも、雄大ごのみで冒険を喜び、生命という大切なものをエサにして、功名という快楽を釣りあげようとする豪傑連中の仲間」と説明されています。志士的心情の持主で、保守的傾向もありますが、本質的には理性よりも情念を尊重する人物としてキャラクター設定されています。

思い切って単純化すれば、

・洋学紳士→西洋思想、リベラル派、理性
・豪傑の客→保守思想、国家主義者、情念

と整理できるでしょう。


物語の舞台は南海先生の自宅です。洋学紳士と豪傑の客が南海先生を訪問し、3人で酒を飲みながら議論が盛り上がっていくという体裁をとっています。

何を議論するのかといえば、これからの日本の進むべき道についてです。日本という国家はどうあるべきか、どのように国際社会のなかで生きていくべきか、これらの問題を議論していくのです。

洋学紳士と豪傑の客は対照的な思想の持主ですが、両者ともに西洋諸国は強国・大国であり、日本は弱国・小国であるという点では認識が一致しています。

そのうえでどのような議論を展開するのか、まずは洋学紳士を見ていきましょう。

洋学紳士の議論

洋学紳士の特徴は、理性や道徳、品性などの無形のものに対する信仰があることです。そのため、軍備などに貴重なリソースを割くのは無駄である、と主張します。

軍備の放棄

洋学紳士によれば、日本は文明におくれた小国です。その日本が文明化に向かって鋭意努力し、学問を深め、道徳を修め、工業化を達成し、軍備を撤廃したならば、そのような文明化した日本をどこの国が攻めてくるというのか、と主張します。

こちらが軍備を撤廃したのにつけこんで、たけだけしくも侵略して来たとして、こちらが身に寸鉄を帯びず、一発の弾丸をも持たずに、礼儀ただしく迎えたならば、彼らはいったいどうするでしょうか。剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか。

「三酔人経綸問答」 p14

一種の無抵抗主義です。現在でも同じような議論を耳にしますが、洋学紳士のヴァリエーションなのは一目瞭然です。

ここには道徳や学問などの無形の文化的パワーが戦争そのものの抑止力となるという一種の宗教的信念が吐露されています。

豪傑の客が真っ向から反対するのはこの点ですが、くわしくは豪傑の客のところで説明しましょう。

階級に対する嫌悪

次に洋学紳士の議論で特徴的なのは、階級に対する嫌悪です。既得権益層に対する敵意といっていいかもしれません。

王族や貴族などは、ただ単に先祖が有能であったにすぎず、いま既得権益にあずかれない庶民の先祖は単に無能であったにすぎない、といいます。

ただ先祖の能力に差があっただけだというのです。それなのにその特権を継承していく子孫と、特権にあずかれない子孫が存在するのは不当だというのです。

なぜなら世界は進歩しており、人間もまた進化する、権益を子孫にわたって固定するのは「進化の理法」に反するから、というのが洋学紳士の主張です。

ここで重要な論点が出てきました。「進化の理法」という概念です。

世界は進歩しているという信念

洋学紳士が説く「進化の理法」は、18世紀から始まる科学的発見の事実に基づいています。洋学紳士は特に有名な例として進化論のダーウィンをあげています。

この「進化の理法」は自然だけではなく、人間の政治体制や社会構造にも適用されるとします。政治もまた進化するのです。洋学紳士によれば、

無制度の時代 → 君主宰相専制の制度 → 立憲制度

という順番で展開していきます。洋学紳士は次のようにいいます。

立憲制度に入ってはじめて、人間は、ひとりひとり独立の人格となることができるのです。それはどういうことでしょう。政治に参加する権利、財産を私有する権利、すきな事業をいとなむ権利、信教の自由の権利、そのほか言論の権利といい、出版の権利といい、結社の権利といい、およそこの種の権利は、人間たるもののかならずもつべきはずのもので、こうした権利をぜんぶもったのちにはじめて、人間と呼ばれる価値をもつものです。

同上 p34

世界中の国が立憲制度を完備した民主国となったとき、世界から戦争はなくなる、とされます。もし、万が一、凶悪な国があって攻めてきたらどうするのか、という豪傑の客の問いかけに洋学紳士はつぎのように答えています。

私は、そんな狂暴な国は絶対ないと信じている。もし万一、そんな狂暴な国があったばあいは、私たちはそれぞれ自分で対策を考える以外に方法はない。(中略)彼らがなおも聞こうとしないで、小銃や大砲に弾をこめて、私たちをねらうなら、私たちは大きな声で叫ぶまでのこと、「君たちは、なんという無礼非道な奴か。」そうして、弾に当たって死ぬだけのこと。

同上 p59

自分の信念に殉ずるというわけですが、本人はいいとしても巻き添えになる人はたまったものではないでしょう。

豪傑の客の議論

洋学紳士の議論が理想論とすれば、豪傑の客の議論はいわば現実論です。軍事に関する議論で両者は完全に衝突します。

洋学紳士が道徳によって戦争を防止できると考えるのに対して、豪傑の客は力には力でなければ対抗できないという見解を表明するのです。豪傑の客の意見を聞きましょう。

戦争は避けられない

豪傑の客によれば、戦争は学者の理論でどうにかなるものではなく、自然の勢いだといいます。とくに人間には「道義心」というものがあり、この「道義心」こそが人間が戦争をやめられない大きな理由であるというのです。

豪傑の客の議論は、まず現実を正しく認識すべきことを主眼とします。洋学紳士のように「進化の理法」に帰依していないため、長いスパンでの観察よりもまず目前の事実を尊重するのです。豪傑の客はこういいます。

もし争いは悪徳で、戦争はくだらぬことだと言う人があれば、ぼくは答えて言いたい。個人に現に悪徳があるのを、どうしようもないではないか。国が現にくだらぬことをやっているのを、どうしようもないではないか。現実というものをどうしようもないではないか。

同上 p63

世界中が軍備拡張に邁進しているときに、手をこまねいていては強国の餌食になるだけだ、というのが豪傑の客の認識です。そしてこの認識から、日本の進むべき道として海外進出の議論がでてきます。

積極的に海外に進出すべき

豪傑の客が主張する進出すべき場所というのは、具体的に国名地名をあげていませんが、おそらく中国のことです。

聞くところによると、この国は、制度があってないようなものだ、とのこと。つまり、よく肥えた大きなイケニエの牛なのです。これは天が、多くの小国の腹を満たしてやるために、エサとして与えたところのもの。なぜさっさと出かけていって、その半分、あるいは三分の一を割き取らないのですか。

同上 p69

後年の日本の大陸進出を見越していたかのような議論です。ただ、海外に進出するには軍隊はもちろんですが、それを支える経済力が必要不可欠です。そのためには内政刷新が必要です。海外進出のために国内を基地として整備しなければなりません。その過程であらわれる抵抗勢力についても豪傑の客は言及しています。彼の言葉を借りれば、「昔なつかし」と「新しずき」の二つの立場が国内に生まれます。

「昔なつかし」と「新しずき」という二元素

豪傑の客によれば、この二つの立場が登場することで国政は大いに妨げられるといいます。「昔なつかし」と「新しずき」という言葉だけから判断すると、前者は保守派で後者は進歩派というように速断しがちですが、豪傑の客がいう「昔なつかし」と「新しずき」はまったく意味が異なる点には注意が必要です。「昔なつかし」とういうのは、

なにかことがあると、いつも断固としてやってのけて、あとの災難など考えもせず、世論に遠慮もしない。(中略)ところがいったん重大な結果をひき起こすような問題となると、きっとなって発言し、みんなの議論がどんなにわきかえっても、てんで気にもとめず、賛成にせよ反対にせよ、自分の主張を必ず実行に移すのを目的として、中途で他人の説に従うことなどは、この上ない恥だと思うのです。

同上 p81

「新しずき」の方は次のように説明されています。

なにかことあるごとに、小さいことだろうと、大きいことだろうと、必ず慎重にかまえ、心をくだき思いをこらし、一部始終をとくと検討し、なん度もなん度も綿密にやったあげく、弊害が絶対にないことが明らかになった上でなければ、けっして断行しようとはしない。

同上 p82

つまり、「昔なつかし」と「新しずき」の二つの元素はつぎのように整理できます。

「昔なつかし」→維新志士肌の過激派
「新しずき」→実務家

豪傑の客が重要視するのはもちろん「新しずき」の方で、「昔なつかし」の元素の方は兵隊として戦争に送りこんでしまえ、と過激なことも主張しています。

南海先生の立場

ここまで、洋学紳士と豪傑の客の両者の議論を紹介しましたが、聞き役に徹していた南海先生の立場はどうなのでしょうか。本書の最後の方で南海先生が両者の議論を軽くいなす場面がでてきますので、まとめてみましょう。

洋学紳士への反論

南海先生は、洋学紳士の説は「思想上の瑞雲のようなもの」といいます。つまり、「はるかに眺めて楽しむばかり」のものだというのです。頭のなかで考えただけの夢で、生活に息抜きを与えてはくれるが、生活の指針とはなりえないという批判です。

いわゆる「進化の理法」についても、進化は一直線に進むとは限らず、寄り道もし、曲がり角もあり、ときには後退することだってある、と諭しています。南海先生は民主制についてもなかなか鋭いことを言っています。

紳士君は、もっぱら民主制度を主張されるが、どうもまだ、政治の本質というものをよくつかんでいない点があるように思われます。政治の本質とはなにか。国民の意向にしたがい、国民の知的水準にちょうどみあいつつ、平穏な楽しみを維持させ、福祉の利益を得させることです。もし国民の意向になかなかしたがわず、その知的水準に見あわない制度を採用するならば、平穏な楽しみ、福祉の利益はどうして獲得することができましょう。

同上 p97

洋学紳士の議論は、所詮独りよがりな自己満足にすぎないという批判です。

豪傑の客への反論

豪傑の客の議論はどうでしょう。南海先生は「今日ではもはや実行し得ない政治的手品」であるといいます。これもまた洋学紳士と同じく、見て楽しむもので、役には立たないと南海先生はいいます。また、豪傑の客がいう日本の進出先というのはおそらく中国のことだろう、と指摘して次のように言います。

やたらと武器を取って、かるがるしく隣国を挑発して敵にまわし、罪もない人民の命を弾丸の的にするなどというのは、まったくの下策です。

同上 p105

さらに、その後の日中関係を予見するかのような発言もしています。

こちらが相手を恐れ、あわてて軍備をととのえる。すると相手もまたこちらを恐れて、あわてて軍備をととのえる。双方のノイローゼは、日月とともに激しくなり、そこへまた新聞というものまであって、各国の実情とデマとを無差別にならべて報道する。はなはだしいばあいには、自分じしんノイローゼ的な文章をかき、なにか異常な色をつけて世間に広めてしまう。そうなると、おたがいに恐れあっている二国の神経は、いよいよ錯乱してきて、先んずれば人を制す、いっそこちらから口火をきるにしかず、と思うようになる。

同上 p107

不幸なことに、その後の日中関係は南海先生が予見した方向に進んでしまったのは周知の事実です。

南海先生の立場

このように両者の意見を批判した南海先生ですが、では先生自身は、今後の日本はどのようにあるべきか、どう考えているのか両者に詰問され、次のように答えています。

やはりただ、立憲制度を設け、上は天皇の尊厳、栄光を強め、下はすべての国民の幸福、安寧を増し、上下両議院を置いて、上院議員は貴族を当て、代々世襲とし、下院議員は選挙によってとる、それだけのことです。くわしい規則は、欧米諸国の現行憲法を調べて、採用すべきところを採用すれば、それでよろしい。こういうことは、一時の議論で言いつくせるものではありません。外交の方針としては、平和友好を原則として、国威を傷つけられないかぎり、高圧的に出たり、武力を振るったりすることをせず、言論、出版などあらゆる規則は、しだいにゆるやかにし、教育や商工業は、しだいに盛んにする、といったようなことです。

同上 p108,p109

この返答を聞いて、洋学紳士と豪傑の客はそんなことは誰でも知っていると笑います。常識論だからです。南海先生は言明を避け、ごまかしたのです。

しかし、次のように解釈することもできます。それは、私たちは突飛な言論に飛びつくことはやめ、常識にかえるべきだということです。

洋学紳士と豪傑の客が両極端の議論をしている以上、南海先生は中道を選ぶしかありません。作品としてもそうしなければまとまりをもちえなかったでしょう。

まとめ

本書の引用はすべて現代語訳で引用しましたが、中江兆民の文章は格調高い文語体です。岩波文庫には幸いに現代語訳・原文ともに収録されていますので、ぜひ兆民の原文にも触れていただきたいと思います。兆民の深い漢文の教養がわかると思います。見事な文章といまだ古びない内容と、この両者を存分に味わってほしいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました