論理的に考えるのでなければ、考えるとはいえません。
では論理的である条件とはなんでしょうか?
以下の3点に注意することで、論理的な思考に近づくことができます。
- MECE
- 比較
- 矛盾、因果
それぞれについて説明していきます。
MECE
MECE(ミースィー)とは、Mutually Exclusive collectively Exhaustive の略です。
これは分類の方法のことを指します。
ある対象群を、お互いに排他的な部分集合化すること、これがMECEです。
例で説明しましょう。
動物の集団があるとして、これを「犬」「猫」「サル」などに分類するのはMECEといえますが、これを「魚を好むもの」「果物を好むもの」などに分類するのはMECEではありません。
「魚」と同時に「果物」を好むものも存在するからです。
一方、「犬」であると同時に「サル」である動物はいません。
つまり、MECEとは、
・カテゴリー分けが重複していないこと
これです。
重複している分類では、正しい結論を導くことはできません。
このあとの作業である比較に支障をきたすからです。
比較
考えるとは、比較することです。
比較することなく、個々の概念そのものを思考することはできません。
たとえば、「犬」という概念は、他の概念との比較によって、その内容をはっきりさせることができます。
「犬」は「猫」と違って、朝夕の一日2回の散歩を必要とします。
さらに、「犬」は集団内での序列を意識し、自分の位置をつねに確認する習性があります。
「犬」という概念は、他の動物と比較してその違いを際立たせてこそ、その内容があきらかになるのです。
比較なしでは、思考はありません。
そのことは言葉そのものに注目しても明白です。
「いぬ」という言葉だけを眺めたところで、「いぬ」という言葉の内容は明らかにはなりません。
かえって、なぜ「いぬ」は「いぬ」なのか、といったような疑問が湧いてきて途方にくれるばかりです。
中島敦の「文字禍」という小説はそのことを描いたものですが、それと同じことになってしまいます。
最後にまとめます。
・考えるためには、比較しなければならない
比較のためにはMECEがしっかりしていなければ比較のしようがありません。
あやふやなMECEでは正確な結論を得ることはできないのです。
矛盾、因果
矛盾と因果は、推論するうえでもっとも重要な概念です。
まずは矛盾です。
これは古典の韓非子由来の言葉で、矛盾する命題はともに真実であることはできないことを指します。
どんな盾をもつらぬく矛と、どんな矛も通さない盾を売る商人が、その矛と盾をかち合わせたらどうなるのかという問いかけに答えられなかったという故事からきた言葉です。
これで明らかなように、矛盾する命題はどちらかが虚偽なのです。
もう一つ重要なのは因果です。
因果関係は、2つの事象が関連したものであるということです。
もっと言えば、ある事象を引き起こした充足理由がもう一方にあるということです。
因果は、日常の経験を省みればあきらかでしょう。
二日酔いになったのは、明らかに昨晩飲み過ぎたからです。
体が筋肉痛なのは、普段運動しないのに昨日社会人サッカーに誘われたからです。
因果は思考の問題ではなく、事実の問題です。
この場合、事実に忠実であれば論理的ということになります。
まとめ
論理的に考えるのは、カンタンそうに見えて実は難しい問題です。
今回の3点は、論理的に考えるための第一歩、いやストレッチです。
とくにMECEは重要な概念ですので、ぜひおぼえてください。
興味を持った方は、さらに本やネットで調べてみることをオススメします。
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