保守主義の聖典「フランス革命の省察」を10分で理解する

哲学

今回は「フランス革命の省察」をご紹介します。
保守主義の名著として有名な作品です。

原文の難解さもさることながら、日本語訳の難解さもあいまって、多くの人に読まれているとはいいがたい作品でもあります。

この名著の主張をあえて3つにしぼれば、以下のようになります。

・理性よりも感情を尊重すべし
・法律よりも礼節に重きを置くべし
・極端を排し、中道を行うべし

本書の説明に入る前に、著者のエドマンド・バーク(1729~1797)について、その人となりを見ていきます。

エドマンド・バークとは

バークはイギリスの政治家ですが、生まれはアイルランドです。

ただ、カトリックではなくアイルランド国教会の家庭に生まれています。

政界に登場したのは1765年、バーク36歳のときです。
以降、すぐれた演説と文章で高い名声を獲得していくバークですが、彼が60歳のときに勃発したフランス革命についてものしたのが、この「フランス革命の省察」です。

革命の勃発が1789年、バークのこの本が出版されたのが1790年、わずか1年でバークは態度を鮮明にしました。

流動的な状況のなかで判断を下すというのは、極めて難しいことです。

果断に自らの態度を明らかにしたバークの勇気とともに、その人間観からくるフランス革命の評価は、進歩と革新の夢に酔う大衆の恐ろしさを鋭く指摘しており、今でも読むに堪える名著となっているのです。

では、その内容について次に説明していきます。


なお、引用は 佐藤健志編訳「新訳 フランス革命の省察」PHP研究所によりました。

「フランス革命の省察」とは

まずフランス革命について、教科書的な知識をおさらいしておきます。

フランス革命とは

1789年7月14日にパリの民衆がバスチーユ監獄を襲撃したのが、革命の勃発のシンボルとしてよく言及されます。

なぜ監獄を襲ったのかといえば、パリ民衆が欲したのは実は武器弾薬で、それらが監獄にあると誤解したからです。

ここから怒涛のように事態が急展開し、8月26日の「人権宣言」、そして10月には民衆がヴェルサイユ宮殿に乱入して国王一家をパリに連行し、監視の下に置きます。

その後、公債アッシニアの発行や教会財産の国有化、ギルドの廃止など、矢継ぎ早にさまざまな改革が実行されていきますが、まだ穏健派のミラボーも存命しており、事態の推移を各国は不安とともに注視している状態でした。


そのさなか、バークは「フランス革命の省察」を著し、革命批判を公にしたのです。

バークが見たフランス革命

バークはフランス革命をどのように見たのでしょうか。

もちろん、バークにとって革命の進展は受け入れられるものではありませんでした。

ただ、彼は革命そのものを否定しているわけではありません。

悪しき統治にたいしては、この一線を越えたら服従をやめて反乱すべきだという境界が存在する。

「新訳 フランス革命の省察」   p61  


これがバークの基本姿勢です。
悪しき統治に反抗をもって報いることをバークは否定していないのです。

では、フランス革命の何がバークの神経を逆なでしたのでしょうか。

それは、過剰な暴力と殺戮、高貴な人々に対する侮辱と伝統を踏みにじる非理性的なもろもろの行為に対してでした。

国王一家がヴェルサイユからパリに連行されたときの様子をバークはこう書いています。

国王一家は、首都へと連行されることになる。民衆による一方的な虐殺のしめくくりとして、王の護衛を務めていた二人の紳士が犠牲者に選ばれる。正義の処刑と称して、この二人は公衆の面前で死刑台へと引き立てられ、そのまま首を切られた。凱旋行進の先陣を切ったのは、彼らの頭を突き刺した槍であった。  

 同   p106

   
一体全体、何のための処刑なのか、およそ誰もその理由を説明できないでしょう。

革命の熱狂に酔う民衆にとっては、人殺しもまた革命に彩りを添えるひとつのイベントに過ぎないのです。

人間本来の感情を重んじ、「近代の光明」なるものをまったく浴びていない私にとって、高貴な人々がこのように虐待されるのは、喜ぶべきことどころか、およそ忌まわしいことだ。 

 同   p107,108


バークがフランス革命に感じたのは、まず生理的な反発でした。

革命勃発時、バークは60歳の老年でした。

バークを形成しているのは、古い時代の価値観に違いありません。

騎士道精神が地を払ったことを嘆いているのでもそれはわかります。


しかし、支配者層に加えられた蛮行を正当化する理由を発見することはバークには不可能だったのです。

彼は人間として素直に反応しました。

暴力や虐殺を是とするほど、彼は理念に狂ってはいませんでした。

革命を熱狂的に支持し、バークに批判されているプライスという人物が牧師であるのも興味深いことです。

政治家であるバークが暴力を被る人々に同情し、隣人愛を説くべき牧師が革命に熱狂する。

ここに「フランス革命の省察」のひとつの図式が見られると思います。

個々の人間に目を向ける人々と、理念に狂う人々とのコントラストです。

バークの批判が後者に向けられたものであることは、言うまでもないでしょう。

保守と革新

バークのスタンスがフランスの旧体制擁護にあることは明白ですが、ここでバークの主張をいくつかの観点にわけてまとめてみます。

これらの主張の底流にあるのは、合理性というものにたいする不信です。
理性にあまりに信をおくことは、人間性喪失を招く結果となります。

バークの主張を見てみましょう。

啓蒙主義に対する批判

啓蒙主義が目の敵にするのは固定観念でしょう。

固定観念は理屈を寄せ付けないものだからです。

この固定観念は本当にくせ者で、私たち自身、これに凝り固まった人に悩まされることもあります。

しかし、バークは固定観念というものを排斥しません。

バークによれば、固定観念は「理屈抜きの感情」です。

そして、固定観念だからこそ、尊重される必要があると言います。

もっと言えば、時代を超えて受け継がれた価値判断の方が、個々人の小さな理性よりも信頼するに足る、ということです。

非常事態において、(中略)とっさに判断を下さねばならないとき、取るべき行動を明確に提示してくれるのは固定観念のほかにない。こうしてわれわれは、肝心な瞬間に「どうする、どうする」と思い悩んで立ち往生せずにすむ。  

 同    p123

確かにその通りです。

非常事態において頼りになるのは、小賢しい知恵ではなく、固定観念かもしれません。

もうひとつ、啓蒙主義者に対する批判を引用します。

彼ら(啓蒙主義者)は他人の英知に敬意を払おうとせず、そのかわり自分の英知を絶対視する。  

 同   p124

自分が正しいと信じて疑わず、他人を厳しく責める人間というのが皆さんの周りにもいるでしょう。

彼らは啓蒙主義者の仲間です。

そういった人間には自らの理性の小ささを悟らせるしかありませんが、これは難しいことでしょう。


自分が正しいと信じているのですから処置無しです。


せめて自分だけでも、その陥穽に陥らないように自戒するしかありません。

宗教を擁護する

社会が大きく変わろうとするときは、宗教に対する批判も強まるものです。

昨日までは遵守すべき徳目と思えたものが、急に色あせたものに感じられる日が来ます。

なぜあれほどこだわったのか、自分でもその理由がわからなくなる日が来ます。

そうなったときに噴出してくるのが、騙されていたという復讐心です。

人間とは不合理なもので、長い年月が過ぎるうち、宗教も少々サビついて迷信じみてくることはありうる。 

 同   p125


「サビつく」というのは面白い表現です。

宗教も油をさしてやらなければ、スムーズに機能しなくなるのです。

そうなったときに、人は安易にすべてを破壊したい衝動に駆られるものです。

フランス革命がそのいい見本でしょう。

しかし、バークはそういった軽挙妄動を戒めるのです。
宗教は必要である、なぜなら人間は不合理な生き物だから。

それがバークの立場です。


こういった見解に至るには、多くの人生経験が必要です。
苦労した人間でなければ、容易には受け入れられないかもしれません。
ここにも、理性をあまりに重要視する姿勢に対する批判があります。

国家の変革は安易に行うべきではない

老子の言葉に、「大国を治むるは、小鮮を烹るが若くす」(大きな国を治めるのは、小魚を煮るようにすればよい)というのがあります。

小魚を煮るときは、ゆっくりコトコトと煮ないと、形が崩れてしまいます。


大国を統治するのも、それと同じだというのです。


バークの立場も、老子とかわりません。

時間をかけて物事を変えてゆくのは、さまざまな長所を伴う。その一つは、変化が起きているとは思えないほどペースが緩慢な点にほかならない。慎重に用心深く作業を進めるのが賢明であることくらい、大工や職人ですら承知している。  

 同   p198


ゆっくり物事を進めるのは、一見すると効率が悪いように見えます。


しかし、国家を治めるには、このやり方の方が最終的に効率がいい、とバークはいいます。

慢性の病気は、生活習慣を改めることで少しずつ治す。   

 同   p201


体のシステムを整えるには、長い時間がかかるものです。
国家のような巨大なシステムではなおさらでしょう。

保守の神髄

もはや明らかでしょうが、バークにとって保守とはどういうことなのか、最後に確認します。

おのれのあり方を変更する手段を持たないようでは、国家はみずからを維持しつづけることができず、したがって保守の手段を持たない。これでは国体のもっとも肝心な部分が損なわれることも起こりうる。「保守」の原則をつらぬくためにも、「適切な範囲の変更」の原則が必要なのだ。  

 同   p49


私たちに必要なのは全面的な変更ではなく、まだ機能している部分と新しい部分との調整なのです。


これは国家だけではありません。


私たち個人個人にもあてはまる真理ではないでしょうか。


個人を個人たらしめているのは、その人のいままでの歴史であるはずです。

例えば、50にもなる大人が過去を完全に否定して今日から新しい自分になると言ったところで、誰がそれを信用するでしょう。

誤解しないように断っておきますが、私たちは日々新しいことにチャレンジするべきです。

しかし、私たちの過去の経験を活かしてやるべきなのです。

私たちは新しい環境に順応していくべきですが、Aという人間が明日からBになってはいけないのです。


バークのいう保守とはそういうことでしょう。

まとめ

興味をもった方は、ぜひこの名著を手にとってみてください。

今回の引用元である佐藤健志編訳「新訳 フランス革命の省察」は抄訳ですが、読みやすく、バークの言わんとするところを素早く理解するためにはうってつけのものです。

全訳としては半澤孝麿訳「フランス革命の省察」みすず書房 をおすすめします。

原書としてはpenguin classics 版をおすすめします。

ぜひ参考にしてください。

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