政治の目的とはなんだろう?

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今日は「政治の目的」という大げさなことを考えてみたいと思います。

考えるというほどのものではないですが、政治という言葉で連想する理想の姿について、書いてみたいと思うのです。

私は政治の素人です。
選挙の際の投票以外、政治的行為と呼べるものをしたことがありません。
日々のニュースにもそれほど気を配っているわけでもない。

つまり、昔ならノンポリというのか、まあそんなところです。

最近は日韓関係が喧しいですが、あまり興味も持てません。
政治に一喜一憂するのは馬鹿らしいと心のどこかで冷めた感覚をもっています。

端的にいえば、つまらない。

そんな私が政治の目的を語るというのですから、ヘンな話です。

政治について

政治の目的とはなんでしょう。

まず政治とは何か、最初にはっきりさせましょう。
もちろん、政治の普遍的な定義などではないですよ。
このブログ内での政治の定義です。

あるいは、私にとって政治とはこういうものだ、という宣言です。

政治とは、多くの人々を統治することです。
統治のためには権力が不可欠ですから、他人を従わせるための権威と実力が必要です。

私が政治という言葉を聞いて思い浮かべる言葉があります。

それは「鼓腹撃壌」です。
「こふくげきじょう」と読みます。
具眼の士はもうおわかりですね。
分かった人はもう読まなくても大丈夫ですよ。
さほど新しいネタはでてきません。
この言葉を知らないという方はもう少しお付き合いください。

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鼓腹撃壌って?

さて、「鼓腹撃壌」です。

この言葉は「十八史略」という本に出てきます。

昔、堯という王がおりました。

堯は民のために日夜働き、民のために統治をおこなうこと五十年、ふと自らを省みて不安を感じました。

民は、私の統治に満足しているのだろうか。

側近に聞いてみても、側近ですからお追従しかいいません。
万民は日々の暮らしに満足しています。
そういわれればいわれるほど堯は不安になり、お忍びで街に出ます。
自分の目で確かめようというわけです。

ある町で、堯は一人の老人を目にします。
その老人は、何か食べながら、腹鼓みを打ち、地面をたたいてリズムをとりながら歌っていました。
その歌はこんな内容です。

「日が出れば働き、日が沈めば休む。井戸で飲み、田を耕して食う。天子なんぞおれに何の関係がある」

堯の五十年の苦労は、この老人にまったく理解されていませんでした。
自分ひとりで生きてきたといわんばかりです。

しかし、この老人の歌を聞いた堯は深く安堵し、自分の統治が間違っていないことを確信して帰ったという話です。

あるべき政治の姿

私は、政治とはかくあるべきだと信じています。
民衆がこぞって政治を話題にするのは不健全だと考えます。

政治の目的は、民衆に自らの人生を楽しく全うさせること、これ以外にないと思います。

これは古臭い思想でしょうか。

私は決してそうは思いません。

君主は民の父母、という言葉もあります。
これも古臭い言葉です。

しかし、父母、というのは適切な比喩なのです。

親は、子どもが幸せになるのを喜ぶものです。
子どもを育てるには、膨大な時間とお金を必要とします。

親はそれを惜しいと思いません。
子どものためだからです。

統治者はすべからく民衆の父母たらんとするべきなのです。

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