誰でも落ち込むことはあります。
心が疲労したとき、私たちは少し立ち止まりたくなるのです。
それは、心に負った傷を癒すための必要な行為なのです。
立ち止まるからこそ見えるものがあります。立ち止まったときに知性が生まれるのです。
今回ご紹介するのは、再び立ち上がるための励ましとなる3冊です。
私自身、これらの本におおいに助けられました。
世の中にある有象無象の本とは違います。どうでもよい読書はやめて、真の知性に触れるべきときです。
ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」西尾幹二訳
ドイツの哲学者・ショーペンハウアーの代表作の翻訳です。
ショーペンハウアーといえば、「自殺論」や「読書論」などのペシミスティックなエッセイで知られていますが、彼の本質を理解しようとするなら本書は避けて通れません。
本書は4部構成になっており、「表象」と「意志」というふたつの観点から世界を説明しています。
「表象」と「意志」というのは説明のために設けられた概念であって、このふたつの概念が実在するわけではありません。世界はあくまでひとつです。
しかし、「表象」と「意志」というふたつの観点から世界を解釈するのが、もっともよく世界を理解するための近道だ、とショーペンハウアーはいうのです。
最初は何のことかさっぱりわからないでしょうが、読み進めていけばショーペンハウアーのいわんとすることが少しずつわかるようになってきます。
「哲学」についてよくわからない、あるいは具体的なイメージがつかめない、そんな方にこそ読んでもらいたい名著です。
凡百の哲学入門書に金を使うくらいなら、本書を熟読することで、哲学のしっかりしたイメージ、少なくとも哲学とはこういうことか、という手ごたえを感じることができるはずです。
翻訳者は西尾幹二氏。
保守論客としても著名ですが、本職はドイツ文学者です。西尾氏の翻訳はすばらしいもので、本書の価値の半分以上は西尾氏の訳に帰せられるといっていいでしょう。
この「意志と表象としての世界」はもともと中央公論社の「世界の名著」シリーズに収められていた一冊です。
現在入手できる三冊本には収められていませんが、西尾氏の「ショーペンハウアーの思想と人間像」は必読の文章といっていいでしょう。
ショーペンハウアーの生い立ちから始め、彼の哲学が展開していく過程を丁寧に紹介しています。ショーペンハウアーに劣らない強烈な個性である母親との確執など、興味深いエピソードも満載です。上下二段組で100ページ弱のショーペンハウアー論は何度読んでも飽きません。なぜ収録しなかったのか、あるいはできなかったのかはわかりませんが、きわめて残念なことです。
それでもショーペンハウアーの代表作が日本語で読めるだけでもありがたいとすべきでしょうか。
最後にもう一度強調しておきましょう。
下手な哲学入門など何冊読んでも時間のムダです。
それならショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を読むべきです。
哲学とは何か、その核心をつかまえることができるはずです。
福田歓一「政治学史」
優れた政治学概論であるとともに、すばらしい西洋思想史でもある名著です。
古典古代から説き起こし、プラトン、アリストテレスを経て、ヘレニズムとローマ帝国、キリスト教の支配によるヨーロッパ中世、その克服としてのルネサンスと宗教改革、大混乱のなかから生まれ出た絶対主義王政、それとの闘争のなかで鍛えられた近代政治哲学、などなど、この一冊でヨーロッパ史を一望のもとに見渡すことも可能です。
著者の深い学識に裏付けられた各時代の政治思想を読むのは本当に楽しい。
豊かな時間を味わうことで、心の疲労も徐々に回復していくのです。
小林秀雄「本居宣長」
これは本当に不思議な本です。
本居宣長論であることは確かですが、小林は宣長の祖述者に甘んじようとしているかのようです。
宣長に寄り添い、宣長の言いたいことをやさしくわかりやすく咀嚼して読者に伝えようとしているかのようです。
宣長の前でひたすら無に徹しようとする小林に導かれて、読者は宣長の世界に浸りきることができるでしょう。
読後感もきわめて特殊なものです。
少なくとも、この本のような充実した読後感というものを味わったことはありません。
まさにユニークな本なのです。
日本語散文で書かれたひとつの達成といっていいでしょう。
ただ、小林は、源氏物語について論じる宣長とは意見が合わないのではないか、そんな印象を受けます。すこし宣長の姿がぼやけて見える、そんな感想をもつのです。
しかし、それはささいなことです。
この「本居宣長」が小林秀雄の最高傑作であり、戦後日本文学の偉大な達成である事実はかわらないでしょう。
よどみない小林の文章に心ゆくまで浸ってほしいと思います。
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